う、ういじゃない!

=LOVE / 野口衣織ちゃんと大場花菜ちゃんのことが大好きでたまらないヲタクの独り言

役として生きるということ ~舞台「フルーツバスケット 2nd season」観劇感想 ~

 

 

舞台 「フルーツバスケット 2nd season」

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推しメンが舞台に出ることになった。

予想もしていなかった出来事だった。

 

 

いーちゃんが役者として舞台に立つ姿を見るのは 実に5年ぶりのこと。

時は巻き戻って あにてれコラボの2.5次元舞台「ガールフレンド(仮)」にイコラブがグループとして出演したのを最後に、推しメンの舞台役者姿を目にする機会はなかった。

 

一体どんな時間が流れて、それを目にした自分の中にどんな気持ちが流れ込んでくるのかなんてあまりに久しぶりのこと過ぎて全く予想もできなかった。

 

 

今回舞台の原作となる「フルーツバスケット」は恐らく誰しもが一度作品名くらいは耳にしたことがあるであろう名作少女漫画だ。

 

私も勿論例外ではなく、アニメ・ゲーム・漫画とはほぼ無縁な人生を歩んできたとはいっても作品名くらいは耳にしたことがあったし、書店で漫画本の表紙を目にしたことがあった。

ただ、どんな話なのかとか、なんでこんなに人気があるのかとか、そういうことには無頓着であり無知だった。でも、今回大好きな推しメンが出逢わせてくれたのはきっと運命だから。今の、これからの自分にきっと必要なものを与えてくれるんだと思ったから。そういう謎の確信だけはあった。

 

全部のお仕事に対して誠実である推しメンの心持が大好きだから、きっと、いや、確実にこの舞台仕事だって真正面から向き合うんだろうなという信頼があった。

だから、私自身もそんな推しメンの誠実な仕事への姿勢を大切にして、触れたことがなかったこの作品をしっかり噛み砕いてから舞台期間にのぞみたいな、と思ったわけである。

 

 

まぁ、なんせ話が重い。

そして長い。

 

 

漫画は単行本にして全23巻

 

あらすじはもう私なんかがこの場で語るまでもなく、既知な方がとっても多いだろうし、もっともっと深くて分かりやすい解説媒体が無数に存在する。

だからこそ敢えて特筆は避けるけれど、私が今ここでそれを選択したように、舞台「フルーツバスケット 2nd season」も同じような導入であったのが印象的だった。

 

名作を”演じる”ということ

 

初日公演の幕が上がり、まず初めに驚いたのはあまりにも簡素な舞台装置。

装置というよりもはやステージ”のみ”。

 

前説もなく、思い返してみれば透だって「お久しぶりです」と笑顔でそこに立ち、唯一ある1st seasonの回想といったら草摩の家に居候することになってからの日々の簡素なまとめと猫憑きの夾が本当の姿として恐ろしい姿に変身し、恐怖に慄きながらもそっと夾を抱きしめる透のシーンが冒頭にあるくらい。

 

もちろんこの舞台の銘打つ「2nd season」がアニメ放送としての冒頭にリスペクトの気持ちで準じているのもあるだろうけど、製作者側の良い意味での”強気”と圧倒的自信を感じた。

連載開始から25年が経っても尚、時代の流れの中で埋もれることなく人気であり続ける原作のネームバリューに圧倒的信頼があるからこそ、「皆さん、わざわざ説明なぞせずともご存知でしょう?」と言わんばかりの余分な前説を削ぎ 物語の世界観に重きを置いた導入だったように思う。

アニメのオープニングがテレビ画面からそこに流れ出してきたように滑らかにオープニング、キャラクター紹介があり、気づいたら本編が始まっているのだ。

 

そういうそこかしこに感じる製作陣の自信が透けるたび、この夏いーちゃんがとあるアニメのドラマ化仕事に挑んでいた時のことを思い返した。

原作が広く愛されている作品であればあるほど、根強く熱心な愛好家を数多く抱えている。フルバは漫画としての原作のみならず、繰り返しアニメ化され、幾度となく舞台作品としても上演されているのだ。

著明な実力俳優たちがその役の実演に名を連ねているし、期待を裏切らない好演が実績として残されている。だからこそのこの「2nd season」の舞台化なのである。

 

前述したアニメのドラマ化において、原作ファンの愛をさらに温めることに成功したいーちゃんの好演は記憶に新しかったけれど、今回フルーツバスケットという作品自体の持つパワーが計り知れないからこそきっともっと険しい”何か”が待ち構えていてもおかしくない状況ではあったし、今回この御仕事でいーちゃんに声がかかったことはとても名誉なことであると同時に プレッシャーだって計り知れない規模だったに違いない。

アニメや漫画が大好きな子だからこそ、作品やキャラクター自体への愛情とかそれを愛するファンの熱意は痛いほどよく分かっているだろうし、そういうことに対してのリスペクトの心持だって惜しまないのがいーちゃんだから。

 

そしてそんな中で、シンプルなプレッシャーに付随する制御しきれない感情だけではない懸念事項が一つあった。

 

いーちゃんは ” 依鈴に喰われないだろうか ”………?

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最初は役に呑まれて食い潰されないかって怖くて、ちょっと目を背けたくなる自分がいた。怖かった。何が怖かったのかわからないけど、漠然と怖かった。

今回いーちゃんが演じる草摩依鈴という少女は、幼少期に両親から虐待を受け、心を閉ざした午の物の怪憑きだ。心の真髄に深い傷を負い、扉を閉ざした依鈴ちゃんが、その心根にどんな感情を抱えているのか・・・・役が心に沁みたとき、大好きな推しメンがどんな変移を魅せてくれるのか、それが良いものなのか、そうではないものなのか。

 

いろんな気持ちが入り乱れながら、それでもやっぱり新しいいーちゃんに会えることがただただ嬉しくて、10月6日 大手町三井ホールへ向かった。

 

そこから9日間のことを、私はたぶんこれから先も忘れることはないと思う。

 

 

空間と時空

 

今までいろんな機会に様々な舞台作品に触れてきた。規模の大小に関わらず。

その中でも類を見ないくらいに舞台セットが簡素だった。

 

いや、舞台上には何もなかった。そして、最後まで何も出てこなかった。

 

これは後から知ったことなのだけど、今回の舞台は主にアニメのほうが大筋であって、むしろフルバ未履修者としては漫画を一生懸命読み込むよりもアニメを視聴することが至極”手っ取り早かった”らしい。

それでも私はアニメからではなく、初手に漫画を読んでから舞台に巡り会ったことを後悔しない。なぜなら、ついこの間一生懸命紙で目にしたフルバの世界が目の前いっぱいに広がっていることに感動してしまったから。

 

正直漫画やアニメを舞台化するということは、言葉を選ばずに表現するとすれば「ちゃっちく」「しょぼく」感じさせてしまうことが多いように思う。特に原作が現実離れしているものであればあるほど。

最近は舞台でも映像やCGが多く織り込まれるようになったからこそ その印象を受けることが少なくなってきているのかもしれないけれど、異性に抱きつかれると憑かれている動物に変身してしまう、とか、人間離れした怪力、とか、そういうことを表現しようとするとどうしても「あらrrrrrr・・・・・」みたいなことになりかねない。個人的にはそういうのを目にしてしまうと急に冷めてしまうタイプの人間なので、そういう点ではかなりドキドキしながら初日公演の観劇に臨んだ。

 

だからこそ何もない舞台上で繰り広げられるフルバの世界は、一瞬たりとも目を離せない位に興味深くて、文字通りに怒涛の3時間だった。

 

ブロックのように様々な形をしたひな壇が今回唯一の”舞台装置”だったわけなんだけど、この縦横無尽に形と役割を変えるひな壇がとっても効果的で驚いた。

 

時に空間として床の間やテーブル、椅子、体育館のお立ち台、花壇、屋根の平部、夾が隠れ込む穴倉(これはアドリブの1つで登場した)の役割を担うし、

 

時空として登場人物たちがそのひな壇を挟んで対峙すると、その人物の心情を表する(対岸にいる相手役にはそのセリフを発する登場人物の心の声は聞こえていない、ということ)上で現実と非現実の境目になるし、客席中央に伸びた花道を縦断すれば、もはや場面転換なしの同時に場所が異なる場面を表すことだってできる。

 

場面転換に必要な時間も観客の集中力の間でさえも削ぎ落とした演出が斬新で、初日は目まぐるしく変化する時系列と物語の激動についていくことに必死だった。

そしてT字の舞台の周囲に配置された少し見上げるような高さ(この高さもまた絶妙で、対岸ブロックにいる観客の顔が 積まれたひな壇にちょうど隠れて見えなくなるような無駄のない高さになっていた)に配置された舞台から降ってくる言葉や演出、登場人物たちの凄まじいエネルギーで目がまわりそうになってしまった。

 

そういう無駄や隙のない演出が、まるで漫画がそのままアニメになり、それが舞台となって三次元に見えてくることの違和感を払拭してくれていたように感じた。

最初は目の前の物語に必死で頭がとことん疲弊したけれど、気づいたらその感覚が病みつきになっている自分がいた。

 

声の無い登場人物が、声を発し、目の前に立っている。動いている。

二次元が三次元になる。

 

それってシンプルにとってもすごいことだ。

 

 

永く愛されるということ

 

観劇回数を重ねていく中で、一つ、違和感を覚えた。

 

生徒会書記の倉木真知が同級生に詰められ、草摩由希のことを語る場面。

彼女は由希のことを「天然"の"人」と表した。

 

それを皮切りにいろいろなセリフが耳に引っかかるようになった。

 

主に真鍋のセリフだが

「忙しいんよ」

「大丈夫そ?」 等々…

 

はやり言葉…とまではいかずとも、日本語は時代と共に微細な変化をしている。

つい数年前まで使っていた言葉でも、今聞くと少し古臭いなんてことは珍しくない。

ら抜き言葉”や助詞の組み合わせといったところにもその変化は透けている。

数十年前の漫画を舞台として現世に放っていくにあたり、もしかするとそういう細かいけれど違和感としての言葉の突っかかりを少なくすることも脚本のこだわりなんだろうか。

 

フルバの主軸は年月がいくら流れようと不変で共通の魅力がある。人間は誰しもが誰かに必要とされたいし、恐らく多くの人間が誰かや何かを必要としながら生きている。そして、独りは怖い。時に。

一つにまとめきれないような数本の軸がこの物語には有って、その軸を彩る数々の登場人物の名セリフたちがどんなに時がながれようとも色あせない魅力としてフルバの根強い人気を支える一つになっている。

 

「最も売れた少女漫画」としてギネスブックに掲載もされているくらいに多く、広く、長く読み継がれ愛されているフルバ。そしてそのどの時代にも共通する人間としての悩み、生きづらさみたいなものへの”救い”の言葉があることも併せて、時代に合わせた日本語の変化を舞台中の言葉にも反映させることでどの時代にも順応できる作品としてフルバが褪せずに輝き続けていることができる理由の一つなのかもしれない。

 

 

彼女とカノジョ

 

「俺、リンのこと何も分かってなかったか____?」

 

本編に、そういう撥春のセリフがある。

 

私が今回の舞台で漠然と感じた恐怖。

たぶんそれは、私がリンちゃん……依鈴ちゃんのことをわかっていなかったからだ。

ただただ漆黒の闇の中に心を閉ざして生きる女の子。たった一筋の光だった同じ十二支の恋人を想って、ひたすら独りで呪いに立ち向かう子。

 

漫画で出会った依鈴ちゃんの心の内や本質、「譲れないもの」が何かわからなくて、ただただ黒く重い彼女の"キャラ"がいーちゃんに染み込むことで、彼女とカノジョが同化してしまうことを恐れた。

 

こう思ってしまっていたついこの間までの過去の自分は、まるで慊人みたいだ。

よく知りもせず、依鈴ちゃんの"どす黒さ"が撥春…ではなく、いーちゃんを食いつぶすと思い込んでしまっていた。

 

 

結果、それは取り越し苦労だった。

 

舞台期間中のとあるウェブインタビューで、いーちゃんはこんなことを語っていた。

 

=LOVE野口衣織「一期一会な気持ちになれることが楽しい」と演技に夢中 「普段やれない役柄を演じたい」と悪役に意欲も | ORICON NEWS

 

-自分ではなれないような心情や力強さ、人間性があるので、稽古中は感情を借りています。依鈴ちゃんの気持ちや感情を借りている時間がすごく愛おしくて、稽古を重ねるたびに「依鈴ちゃんが好きだな」と思います。

 

感情を借りながら自分の中にうまく依鈴ちゃんを同居させて 色をつけて 共存してるいーちゃん見てたらすっごく安心した気持ちで見守れて、期間中ずっとずっと幸せな気持ちだった。

キャストを変えて何度も再演しながら漫画やアニメを実写化することの面白さがここにはあって、ここまで視覚的に”正解”が出そろっていても、それぞれのキャストがそれぞれの解釈で役に手と心を差し伸べることで味が出る。演じる人の解釈によってにじみ出てくるその役の人柄も魅力も変わってくる。

 

初日、疲労でいっぱいだった私の心には、まだいーちゃんの中に生きる依鈴ちゃんが見えなかった。し、たぶんいーちゃん自身もかっちんこっちんだったから(笑)余裕はお互いになかった。

だからこそ、通って、何度も会いに行って、もっともっと中身とか周りに拡がるものを察知したいし拾い上げて、いーちゃんの中に居る依鈴ちゃんをもっと知りたいと思った。

 

 

依鈴ちゃんは本当に優しかった。びっくりするくらい。

 

いーちゃんの中に居る依鈴ちゃんは、私が思ってるよりずっとずっと優しくて、きっと十二支の中で誰よりも早い段階から"誰か"のことに目が向いてる女の子だった。

 

両親から受けた傷でさえ自分のせいにし、傷を庇ってくれた撥春のことを全力で愛し、例え自分に何も残らなくても撥春を"呪い"から解放してあげたいと願う____

 

依鈴ちゃんが透に弱さを差し出してるシーンが 回を重ねる事に素直で真っ直ぐで、たぶんいーちゃんが一番大切にしたい気持ちがシンプルに出てくる感じがして、苦しくて泣いた。

優しくて、優しすぎて、苦しくて泣いた。

「独りは怖い」「助けて」「助けて助けて」っていう叫びがすごくて、ガタガタ震えてて、そこを助けてくれた透って依鈴のなかでとっても"救い"だったんだなって思ったらたまらなくて。

 

これも通っていて 不意に別角度から観劇した時に気がついたことなのだけど、オープニングもちゃんと物語の一部だし、依鈴ちゃんは撥春以外に何を見てるのかなって気にしてたら透のことを追ってたのも分かって、最初の時点で既に伏線もあったんだな。ずっとどこかで助けて欲しかったのかな、誰かに。幼き日に両親から拒絶されて、愛されたかったよね。甘えたかったよね。赦されたかったよね…

 

心を許してからの依鈴ちゃんは透にとんでもねぇツンデレっぷりを発揮しててこれがまた激萌えポイントだったわけなのですが(大声)

 

十二支の由縁を透に説明しているシーンで、その絆に甘んじれば撥春と依鈴ちゃんはずっと近くに居られるのに、それでも自分の存在を棄てて撥春を解放してあげたいっていう想いがすごく真っ直ぐで。自分も撥春も解放されて お互いに愛し合えるような未来を 依鈴ちゃんももしかしたら望んで期待していたのもあったかもしれない。

語りのシーンでの挙動口調がとっても優しかったから、やっぱり依鈴ちゃんは脆くて弱くてとってもとっても優しい子なんだな。と。

あとこれは追記まがいの気づきなのだけど、依鈴ちゃんに胸ぐらを掴まれている時に 由希どんな顔してるのかなと気にしてみたら、びっくりするくらい動じてなくて、そっか由希は依鈴ちゃんが本心でアレコレ言ってない(一時は本心だとしても本質的に他人のために行動できる優しい子だって知ってる)って分かってるからあの挙動なんだな……となったりもして。

そういえばここの少し前のシーンで 由希が「幼い頃から依鈴は撥春を何かから守ってたんだろ?」と語りかけるところがあったっけ。

 

そういう依鈴ちゃんは始めからそこに眠っていたわけではなくて、いーちゃん自身の、いーちゃんの優しさであり、それが依鈴ちゃんと共鳴して 溶けて、あの演技になったのかなって思ったら 依鈴ちゃんがそこにいてくれる時間全てが急に尊くなってしまった。

 

で。

 

透に心を開いてから、とか、由希と言い合いしてたら大好きな撥春にも会ってしまったみたいなとき、とか、そういう"好きな人"に対して すぐに身体の前で手をモジモジさせたり袖をキュって掴んで目を背けたりする依鈴ちゃん、ナニ???激カワ????それは衣織ちゃんですか?依鈴ちゃんですかどっちですか????(真鍋風の早口捲し立て)

 

あとこの勢いのままに書きたいんですけど、

 

「俺はリンを望む。リンは俺を望まない?一緒にいたくない?」

っていうセリフのあとに撥春が依鈴ちゃんの腰に手回して引き寄せるのだけど、その時の依鈴ちゃん本当に"良い顔"しててすごかった…(すごかった)

アーカイブも販売されているのでまだ目にかかっていない方、ぜひ。依鈴ちゃんと撥春は早く幸せになれ。

 

 

役が生きる

 

同一カンパニーの同一作品を複数回公演通い詰めることの面白さは様々だ。

何かの特典目当てに通うこともあれば、本編後のアフタートーク見たさに通う人だっているだろう。今回の舞台で言えば何といっても草摩綾女、草摩はとり、草摩紫呉の3人衆が繰り広げる個性の強いアドリブたちがその目玉の一つであったことは間違いない。

 

 

もちろんそれらが大きな魅力だったが、個人的には日々変わりゆく依鈴ちゃんに会いに行くことが一番の目的であり面白さだった。

何度も言うが私は今回のアニメ未履修の状態で舞台に足を運んだ。

 

フルバ自体とても長い作品であり、その長さの中に名セリフ名シーンが多すぎるが故、時間の限られた舞台という場ではどうしてもハイライトになってしまう感が否めないという声を聞いた。大筋は大層なリスペクトの元で大切にされながらも、泣く泣くカットせざるを得なかった場面も多かっただろう。

 

依鈴ちゃんの場面も例外ではなく、基本的に依鈴ちゃんの登場する場面はメインどころが2幕に2か所だ。その2か所においても舞台上での時間の経過は目まぐるしくて、私が初見で想定していたよりずっと多くのシーンや時間が流れていることを舞台期間の半ばで知った。幼少期の回想のあとに草摩家の玄関で倒れており そこから依鈴ちゃんと透がやり取りしていくシーンにおいては、依鈴ちゃんが透のことをかつての母親と幻視して怯え慄く場面であったり、「お優しい人間はお優しい世界で生きていればいいんだ!」というセリフの細やかな前後にも たくさんのものが広がっているらしかったり。アニメであればもっともっとたくさんのシーンがあって、その間には確実に流れる時間があって。

 

舞台ではその飛び飛びなカットが繋ぎ合わさっているから、きっとアニメを見たことがある人は「あ、あのシーンはカットされたんだな」と気がつくだろうし、アニメを見ていない人はそれすら知り得ない。

 

そんな中でなぜ依鈴ちゃんは透にも扉を開けて心を許したのかということも、そこから年末年始のシーンにおいて急に透に対してバチくそツンデレみを発揮しているのかも、私の中ではいろんなものが繋がるまで少しだけ時間がかかった。

 

イコラブの曲においてもそうだけど、いーちゃんの表現の魅力は「すべてにおいて"幅"をもたせるとこと」「決めつけすぎないこと」だと思っている。

一度「こうしよう!」と決めた表現だって、何かの拍子に違う物語が流れて 表現が変わってきていたりする。私はそんないーちゃんのやり方が大好きで、そこが大きな魅力だと感じているんだけど、その姿勢が今回の舞台においても 依鈴ちゃんとその周りに流れる時間を止めることなく しっかり丁寧に汲んでいるからこそ、毎公演毎公演 「たまたまそのシーンで一番表に出てくる感情の濃度が変化していた」のかなと勝手思ってみたりした。

どういうことかっていったら、昨日はめちゃくちゃ親に対して絶望して虚脱していたのに、なんだか今日はそれよりも撥春のことが大好きで大切でたまらないんだろうな、みたいな感情表現の波があって、それを見ていて自分が運良くすくい上げられた時に 「あー、今日も見に来てよかったな」って思える瞬間になっていた。イコラブのライブを見ている時のなんだかちょっと似たような感覚だったかもしれない。

 

そんなこんなで通ううちに当然だけど他キャストの皆さんのことも大好きになってしまったし、愛着もわいてきて困った。

草摩綾女というキャラが自分の中で顕著なのだかど。最初は全く好きになれなくて 冷めきってる自分がアレを見るのも 痛くてキツかったけど、綾女役の方がしっかり演技ができる実力者なんだって分かってから 優美な所作とかメリハリにも気づけて 最後には綾女兄さんのことも好きになれて、とっても嬉しい。綾女役の仲田博喜さん、とっっても綺麗なお顔立ちをされた方で、それでいて役者としての力やコミカルさも持ち合わせているのならそれはあの人気っぷりも納得……

 

慊人役の彩凪翔さんは序盤から高すぎる舞台スキルに 宝塚としての凄さを感じて惚れ惚れしてしまった。

慊人の紅野に対するオンナ特有のじと〜っとした粘っこい感じと、由希や撥春に対する子どもじみた幼い感じと、紫呉やはとりに対する強がったヤンデレ具合と、全部演じ分けてる彩凪さんって本当にすっげぇ!と唸ってしまったし、総て同じ人なのに ちゃんと違う人格というように魅せられるパワーは素晴らしい才能だ。すごかった。本当に。

 

慊人というキャラも個人的には漫画で受けた印象とは随分異なる見方ができて楽しかった。全体のマインドコントローラーであるはずなのに、幼少期で総てが止まっている慊人は人の気持ちの本質が分からない…もしくは分かろうとしていない?のか…?と。一幕の終盤に別荘で夾を呼び出し「透のことが好きなのか」と問い詰めているけれど、夾が「絶対にあいつのことなんか好きじゃない」とかばう回答をしてもそれをしっかり真に受けるシーンが印象的だった。十二支を自分の動かない時間の中に閉じ込めることで傍に置き、拘束することで いろんなものから自分を護ろうとしていた。

そんな慊人の幼稚さがよりその行為思考をむごく、冷たく、救いようのないこととして描かれているのが怖かった。漫画を読んだだけでは感じられなかった気持ちが慊人に対して湧いた気がする。

 

 

これだから舞台は面白い。通うのを止められない。

そんなふうに思えた終盤は特に楽しくて、終わってしまうのが寂しく思えるくらいに惜しい気持ちで足を運んでいた。

 

あとこれは完全に余談なのだけど、依鈴ちゃん、黒コンとアイライン以外色がないメイクなんだけど、そのせいでなんだかちょっとスッピンっぽい幼いいーちゃんがカーテンコールでニコってしてくれるのが刺さってしんだ。尊い

 

 

 

 

 

 

いろいろ書き連ねてきたけれど、日々いーちゃんが全力で草摩依鈴を全うする姿を見ることができて、千秋楽公演の後には達成感に満ち溢れた顔で微笑んでいるのも見られて、自分が何もしてなくても勝手に幸せでいっぱいになってしまった。

 

フルバのお仕事来てくれて頑張ってやり切ってくれて本当に本当にありがとうって気持ちでこっちも満ち溢れてしまった。演技のお仕事に対しての誠実さがいろんなところに滲み出てて、今回のこのフルバのお仕事に関するいろんなものを摂取できることがとっても幸せだった。

 

楽日から周年まではたったの3日間しかないなかでのプレッシャーも不安も そういうのたくさんあっただろうけど、舞台のいーちゃんはいつでも堂々としていた。特に後半はセリフとセリフに間を持たせる余裕というか、舞台における"感覚"が良い働きをもたらしてくれるまでになっていた。そういうのも含めていつだって安心して全部を楽しみにできた。いーちゃん、強かったなぁ。本当に本当に強かった。

 

いろんなことを不安に思って、殻に盾籠ってしまういーちゃんはたぶんもう居ないし、今回だって図りしれないプレッシャーを消化して私たちファン側に感じさせないようにしっかりと耐えて見せてくれた。

 

「お疲れ様」と言ってみても「本当によく頑張ったね」と言ってみてもそんな言葉じゃ足りなくて。

だけどそれを超える日本語が生憎思いつかないからこそ、その言葉を一層心込めて伝えたいな。

 

いーちゃん、お疲れ様 本当によく頑張りました💮

 

 

 

本当の意味でプロのアイドルだなって節々から感じたし、正直ちょっとそれが寂しくもあった。

だけど、そうやって強く有ろうとしながら 実際に強くなっていくのもまた大切な成長だし、それを自分で制御できるいーちゃんはとっても偉い。

何年経っても見ていて飽きないし、私も自分の人生を頑張ろう、で、休みの日にはまたいーちゃんに イコラブに会いに行こうって思い続けられる。

 

 

もしもまた依鈴ちゃんに会えるなら

その時を生きるいーちゃんの中に居る依鈴ちゃんの"今"に触れられたらいいな。

 

またカノジョに会える日を楽しみに。

 

 

明日はイコラブの6回目のお誕生日!

びっくりするくらい大きなステージで、依鈴ちゃんとお別れしたいーちゃんはどんな笑顔を見せてくれるんだろう。

 

またね 依鈴ちゃん

出逢ってくれてありがとう🐴🌱

 

 

"初めての事"を言いたくなった日に 。

 

実はイコラブのメンバー何人かに、いーちゃんのことをどういう気持ちとどういう姿勢でいるのが彼女の負担にならないのか 時々相談しに行ったことがある。

冷静に考えてみても考えてみなくても、メンバーさん側からしたらヲタクとして誠に迷惑な話だ。

 

何を突然言い始めるのかと思った人が大半だと思うんだけど、これは大好きな推しメンのお誕生日にあたる4/26だからこそ投稿したいこと。

 

今だからこそ言えることがこの2年くらい結構たくさんあったんだっていうことを冒頭に置いておきたくなった。

 


同じグループのメンバーさんへ 結構真剣に相談に行きたくなるくらいにいーちゃんのことが大切だから、"その時"に自分がどうするのが良いか ということはとことん考えたかったし、できるだけ最適解でいたかった気持ちがずっとずっとある。
結局自分のしてきた事が最適解だったのかはわからないけど、私が今もこうしてここに居続けられているくらいに いーちゃんがずっとずっと優しいことが何よりの自分にとっての答えだと思うようにしている。

 


大好きな推しメンのお誕生日のタイミングでブログを書くにあたって どんなことを書こうかなと思ったけど、せっかくだから今だから言えることを。


写真集が発売された年の春先から夏にかけて、ちょうど一昨年は自分の中ですっごく苦しかったしどうしたら良いか分からない時間が長くて、正直このままいーちゃんから離れていくのかな、って薄々感じていた時間があった。


アイドルってそうそう続けられる職業じゃないと思うからこそ、私自身のエゴとして推しメンには思いっきりその特殊環境を楽しんでいて欲しいし、欲を言えば向上心なんかも持ってガツガツ頑張って突き進んで欲しい。
そう思っているところがあるからこそ 常に苦しそうないーちゃんを見ていると本気で辛くなってしまって、好きだからこそ幸せでいて欲しいし少しの時間でも笑顔でいて欲しいと願うのに、その環境にいるせいでとことん追い詰められている推しメンがちっとも幸せそうじゃないことに気づいてしまってからが本当に地獄だった。
どんな言葉をかけたら良いかちっとも分からなくて、というより自分が置かれたこともない環境にいる相手の心情を推し量ることが果てしなく難しくて、もう根っから訳が分からなくて、それだけで泣きそうだった。


いざ明日はお話会だ、となっても、口をついて出てくる言葉が全部押し付けがましくて 全部が全部根本的に妄想で的外れだったらどうしようと思い始めたらキリがなくて。

 

 

そもそも本当にいーちゃんは辛いのか?悩んでるのか?それすら思い込み?というよりなに?そう思ってる自分に私が"分かりて"として酔ってるだけ?????

 


こうなってくると何を思い巡らせてもひたすら辛くて、結局当時の私はその自分の気持ちの苦しさに蓋をすることしかできなくて、実はウィークエンドシトロンのスペシャルライブはそんな理由で1つも応募しなかった、なんてこともあった。


好きだから怖くて……というか好きで大事だと思う気持ちが「嫌い」に裏返ってしまう可能性がみえた時、それがとんでもなく怖くなってしまった。だからそんな瞬間が絶対に来ないように、何も見ないで何も考えない時間を無理やり作った。

嫌いにさえならなければ、いつか近い未来にまたこの辛い時間が失せて元に戻れると信じたかった。

 


いろいろ理由と言い訳を並べ立ててみてはいたけど、シンプルに逃げたかったっていうのもあったんだと思う。

 


今では一周まわって良い思い出になったけど、ひたすら話に行くことが怖くなってお話会だってまともに買えなかった。少しの時間 画面のいーちゃんに会いに行っても、些細なことしか話せてなかったと思う。細かいことは時間の経過もあって虚ろだからもはや記憶にないんだけど。

 


それでもいーちゃんは絶対にどんな"底"からでも立ち上がって這い出てくることをあきらめない強さがある。優しさの塊のくせしてとっても頑固だし、本当に強い。

自分でやると決めたことは絶対にやり抜こうとするし、それに伴う確実な努力だってしっかりする。


これは出逢ってからの初めからわかっていたことではもちろんなくて、その事があったからこそ改めて実感したこと。


こうやって文字に表すことがなんだか惜しくなるくらいに、いーちゃんは魅力が多い人で、私の中の「ここが好き!」ポイントが多い人で、そういう子に「アイドルとヲタク」という歪んだ関係で出逢えたことがたまらなく幸せで楽しくて、ちょっと悔しい。


あの年のあの事がなかったら いーちゃんの強さを改めて知ることはできなかったし、その時が過ぎ去って乗り越えられた先のことがあったからこそ私ももっともっといーちゃんのことが好きになった。

 

 


一生分かんないし、一生分かんなくていいや。
でも、 分かりたい、とは一生思っていたい。


分かった気になるのは傲慢だけど、知りたいなとか理解したいなと思う気持ちは自己満足に過ぎなくても 感情としてとっても優しい感情だと思うから。

 


ねぇねぇいーちゃん


いーちゃんのこと私なんにも知らないから
いーちゃんのこと、もっと知りたいんだ。


何が好きなのか、
どんなことが楽しいのか、
嬉しいのか、


何が辛いのか
苦しいのか


なんでもいい 
知りたいから、教えて


今までは話したくないこと 無理に聞くのも
嫌だったら
嫌われたくなくて 怖くて
私も敢えて何も聞けなくて
できたら勝手になんとなく察せられたらいいなって
そう思っていたけど


でも私 やっぱりいーちゃんのこと知りたい
好きだからもっと知りたい


どうしたら喜んでくれるかなぁとか、
どうしたらもっともっと嬉しいかなぁとか、
今は何が好きかな、とか


そういうことって自分の中でずっと興味を持っていたいことだし、それはいーちゃんに対して最新版の感情であり続けたい。

 

 

 

確かに距離は色んな意味で遠くなったし、正直好きでい続けるには感情的にも障害が多くなってきた。環境がたくさん変わったからこそ、それに伴って「維持」することが結構大変になってきたのをいろんなタイミングで嫌でも感じてしまう。


でもそれが好きでい続けるということなのかなぁ。

 

 


色んな意味での距離が変わらなかったら、たぶんとっくにイコラブはアイドル界での業績不振で無くなってしまっているから。
運もタイミングも実力も必要なアイドル業界で こんなにも根深く図太く確実に6年間歩んでこられているイコラブって本当にすごいなって思うし、そんなグループに序盤から出会えていた私はとってもとっても運が良かったと思う。
何より、そこを起点に"野口衣織"という存在に気づくことができた私は、とってもとっても恵まれているなと心から思う。

 


誰かに出逢えて良かったって思うタイミングはきっと人生で幾つかあるけれど、その気持ちを毎年実感して、その度に幸せな気持ちでいっぱいになれるような誰かに出逢えることってたぶんそうそうない。


もしかしたら"無い"まま終わる人もいるのかもしれない中で、こうやって感謝さえしながら その気持ちを相手に伝えることが許される環境で生きていられている自分の運の良さに感動する。

 


いーちゃんに出逢ってから自分の中のいろんな感情が増えて豊かになったし、誰かを思いやったり誰かを大切にしたり、その大切だと思う気持ちをどう相手に向けたら相手を傷つけないかとか そんなことまで考えたくなる自分が居るっていうことを知った。
いーちゃんに出逢う前の自分はびっくりするくらい全面的に自分勝手だったし、強いフリをして周りを平気で傷つけるような人間だったから。

 


そうやっていーちゃんに出逢ってからのことを振り返ると同時に自分の気持ちの流れを思い返してみると、いろんなことの変化にびっくりする。

ちなみに、前述した年の出来事があった時は周りのヲタクにたくさん迷惑をかけたと思う。

感情のコントロールがつかないとしっかり周りに迷惑をかけてしまう失敗だって今までちゃんと振り返ることも反省することもできてなかったから、そういう意味でもいーちゃんと出逢えて良かったなって思うし、しょうもなく崩れた大人げない私を見捨てないでくれた各位には感謝の気持ちがトマリマセン。その節は大変お世話になりました。

 

 


お誕生日にあったってブログを書くためにコメダ珈琲にいる今。

iPhoneのキーボードをフリックしながらイコラブの曲を「=LOVE」から順番に各シングル、カップリング、アルバム曲、配信曲ってどんどん再生していくと、いろんな記憶が生々しく呼び覚まされてきて、本当にいろんなことがあった5年間だなって その感情だけでだいぶお腹がいっぱいになりそうだ。 


こうやって感慨と思い出に耽ける時間に浸っていると「いや、ヲタク壊滅的にキモいなwwwwwwww」と自虐的になってしまうからあんまりやらないようにしているのだけど、今日だけは自分を許すことにした。
なんてったって今日は大好きな野口衣織ちゃんのお誕生日だ。


今までの事をふと思い出すと、流れてきた月日の長さを感じてなんとも言えない気持ちになる

これから先も続く人生で全体からしたら僅かかもしれないけど いーちゃんが自分の人生に沿って確実に存在してくれてたんだなぁって思うし、そう思えるだけの時間がしっかり流れてきたんだなって感慨深くもあって。

 

 


出会ったばっかりの最初の頃は


「なんでえりぽんは私の事好きなの?」
「まだ私の事好き?」
えりぽんは本当に私の事好き?」


って何回も何回も心配そうに確認して聞いてきたけど、いつからかそれもなくなって、でもそれは悲しいこととか寂しいことというよりは いーちゃんの中で何かがしっかり進んで育った証なのかなと思ったりしている自分もいる。けど、正直やっぱりちょっと寂しい。ヲタクは相変わらず超絶めんどくさい。めんどくさいヲタクは気持ち悪いけど、めんどくさかったいーちゃんは超絶可愛かった。今思い返してみてもやっぱりめんどくさくて可愛い。うちの推しメンは本当に可愛い。


知ってました?野口衣織ちゃんってまじで可愛いんですよ。びっくりしません?私は今でも時々新鮮にびっくりしてます。(そうですか)

 

 


今からめちゃくちゃ気持ち悪いことを書きますという前置きをきちんと置くから、「やっぱり気持ち悪w」という苦情は受け付けたくないけど、この大きな変化を強いて表すなら"追われる恋愛から追う恋愛"に変わった感じ。

 

…………我ながらキモくて脳みそに鳥肌がたちましたね。あなたもですか?私もです。

 

 

 


私の「好き」とか「大切」の気持ちがどんどん大きくなっていってる事の表れなのか、本当にいーちゃんの何かが前に進んで"よりアイドルらしくなった"のか、正解はどっちかわからないけど、それでも確実に長く好きでいることの変化のうちの1つだと思うから。そんな変化すら愛おしいと思えるくらいに今日を迎えられたことが幸せだな。

 


何がどう転んでもヲタクの吐き出す言葉は気持ち悪い。…うっす。
この序盤の文章でさえ職場の人達に読まれたら恥ずかしくてたぶんとんでもない深さの逃げ穴を素手で掘れる。………それはちょっと盛ったかも。

 

 

 

いろいろ長く書いてきたけど、今年もいーちゃんのお誕生日をお祝いすることが出来たこの事実がすごくすごく嬉しいし、つい昨日出逢って好きになったばっかりみたいに今もずっといーちゃんのことが大好きな自分が居て、そのこともとっても嬉しい。

 

いーちゃんにこんなこと言ったら

「私はなんにもすごくないよ ずっと好きでいてくれてるえりぽんが優しいだけだよ」

って絶対返ってくるだろう(し、実際この前の週末もそう言ってた)けど、たまには自分が偉いな、すごいなって認めてあげてね。それが今日だよ、今日の主役は間違いなくいーちゃんなんだよ。

普段買わないコンビニのお菓子、一つくらい買ってね。大好きな駄菓子のチョコケーキは最近ちょっとだけ値上がりしたんだよ。知ってた?

甘いもの得意じゃないだろうけど、ケーキも食べて。蒙古タンメンでも良いよ。

 

 

私は親でもなんでもないから、

"優しさ"だけでそばに居たいとか大事だから幸せでいて欲しいとかそんなこと思えないんだよ。

 

いーちゃんのことが大好きでたまらなくて

ずっとずっと追いかけていたいと思うくらいに魅力がいっっっぱいある貴女だから、何年もこうしてここに居続けてるんだよ。

 

 

生きてるといろんなことあるけど

突然だけど定期的に『あー、愛おしいな、大事にしたいな』ってふと思ってちょっと涙が出る。

その位好きだし、そういうことが定期的にくるから、また改めていーちゃんのことを好きになって、また会いたいな話したいなってなれる。

この5年間はそんな5年間でした。

 

そしてそんな6年目です。

 

 

びっくりするくらい自分に厳しくて

才能だと思えるくらいに努力が上手で

メンバーのこととグループのことが大好きで

目が合った時の溶けた笑顔が愛おしくて

器用なのに不器用で

 

久しぶりに会った個撮でアイクリームの宣伝なんかしてきたり

沖縄のカタツムリは触ると危ないよって教えてくれたり

絶対日本語じゃない鳴き声で挨拶してくれたり

ちょっと疲れてると突然「ぽんちゃぁーん」って呼んできたり

肩や腕が出てる服着てると目敏く手を伸ばしてきたり

 

昔は泣き虫だったけど今はすっかりお姉さんで

しっかりしてるなぁって思った瞬間も

きっと常にいろんなこと思い詰めてるんだろうなぁ

こんなに考えられててすごいなぁって

尊敬の気持ちでいっぱいになる瞬間もあって

 

でもやっぱり甘えん坊で 赤ちゃんみたいで、

 

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何も変わらない。

でも、ちゃんと変わってる。前に進んでる。

 

そんないーちゃんのことが 今日も大好きです。

 

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どうか23歳の1年が 今まで以上に中身がぎゅうぎゅうに詰まった魅力的なものでありますように!

 

 

 

お誕生日おめでとう。🎂

 

 

最後に。

ふと髪の毛を乾かしながら。

 

いつかの握手会で

「最近脱毛がすごくて、お風呂の排水溝が髪の毛で詰まるんだよね」

ってお伝え申し上げたら

「わかる!!!一緒だね!おそろいだね!!!」

って食い気味に同意してくれたことを思い出すくらいに最近また脱毛がすごいです。どうでも良いね。

いーちゃんは最近髪の毛たくさん抜けますか?

 

おしまい

 

今日という日は今日しかないから

 

 

齊藤なぎさちゃんが=LOVEを卒業するらしい。

しかもそれは明日のことらしい。

 

 

たぶん、嘘だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

人間の記憶ってすごく不思議なもので、

去年の9月になぎが卒業発表をしてから

特に大切に護ってきたものではないはずの記憶でも不意に思い起こされるし、なんなら意図せずに突然涙なんて流れたりもする。

 

寂しいなって感傷的になったりもする。

 

つまりは

情緒だいじょぶそ?

 

大切なものって意識して抱え込んで守るものもあれば、無意識に心にしまい込んで目のつかないところで守るものもあるってことを なぎに教えてもらった。

 

いろいろなことを思うけど、

明日齊藤なぎさちゃんが=LOVEを卒業するのは やっぱり嘘だと思う。

 

 

嘘だと誰か言ってくれ。

 

 

 

正直このことに敢えて触れるつもりはなかったけど

なぎのことを書きたいと思った時にどうしても避けて通れない出来事だと思うからこそ

少しだけ過去のことに触れることにした。

 

個人的になぎは令和最強のアイドルだと思っていて、それはこれまでの活動に如実に表れているのだけど、だからこそきっと誤解もたくさんたくさん生んだわけで。

 

今でこそ等身大の齊藤なぎさチャンネルさん(語彙)としてSHOWROOMを楽しそうにやっているなぎだけど、明らかに辛そうな顔や悩んで苦しんでいる姿を見せずにひたすら自分の改善点を改めようと努力するプロ意識の高さが悪さをして されなくてもいい攻撃をたくさん受けているところを多く目にした。

3年前の秋もそうだったし、1年前の夏もそうだったけど、もっともっとたくさんの何かに守られて欲しかった。いや、守られて欲しいという気持ちよりも「これ以上攻撃されないで欲しい」って思う気持ちのほうが途中からは強かったかもしれない。モンペ気質なもので。

 

 

 

自分の推しに一体どんなことができるんだろうか、とか

いつももらっているばかりだからこそ何か与えたいとか返したい、とか

私たちはふとした瞬間こんなことを考えてもみるけれど、すごく悲しいことに 結局いざって時にヲタクなんてものは本当に無能で非力だなと痛感する。

ヲタクは結局なにもできません!

 

推しグループさんたちが大きくなれば大きくなるほど、リアルタイムで彼女たちの苦悩を察することはどんどん難しくなっていく。

特にこの1年、嫌ってほどこのもどかしさと戦った。

なにかしてあげたいっていうエゴだけはどんどん大きくなるのにね。

わかんないよー!推しメン、今何を考えてるの?!

ってな感じで勝手に身悶えすることがものすごく増えた。

 

 

3年前の秋も1年前の夏もなぎのことが推しメンじゃない私でさえこう思ったから、当時彼女のことを推していた人たちはひょっとしたら今もずっと心のどこかで苦しさを抱えているのかな、なんて。

 

私なんかが忘れられないくらいだから、なぎはきっと今も夢にみておかしくないと思っている。

あの夏から今日までの水面下でのうねりはそのくらいにとっても卑怯だし許していいことではないし、勝手に怒ったり哀しくなったりするには十分すぎる出来事だった。

 

自分がその人の人生に直接影響しないからといって、やっていいことと悪いことは世の中にたくさんあるし、言っていいことと悪いことだって線引きしなくちゃいけないことはたくさんある。

授業では教えてくれないことだけど、人間として他人と関わりを持とうとするなら どう考えても必要不可欠な感覚だしそれは確実に常識だと思う。

顔なし集団の中の一カケラだからってなんでも許されると思うなよksって思うことがこの1年特に増えたけどこれは今回の記事とは関係ないので特記は避けます。(口激悪)

 

 

 

よくあの時辞めないでいてくれたね、1年以上もの間笑顔を見せながら頑張ってくれたねって、そんな気持ちで今はいっぱい。この気持ちも正直なところです。

 

辛かったよね

よく頑張ったね

 

本当になぎは強くて偉いと思います。

 

 

この5年間にあったことは私たちが想像もしきれないくらいに辛いことも哀しいことも寂しいこともたくさんあっただろうな。

勝手に妄想(想像ですらないから。もはや)するだけでも勝手に辛くなって勝手にその苦しみと闘う大変さに共感した気になってしまうくらいに とてつもない環境に身を置いてると思う。推しメン含めアイドルさんたちは本当にすげぇ。

 

 

 

なぎがSHOWROOMの配信で時々ぽろりと溢していたことがあったけど、

“生きる”為に・・・というより特に、“健康に生きる”為に失ってはいけない 美味しいものを食べる事とか、心から笑う事とか、思いっきり怒る事とか、無責任に誰かのせいにする事とか、そういうことを時に失う事だって少なくなかっただろうなって思うし、

 

やっぱりアイドルは期限がないといけないなって思わされる。

 

アイドルでいる限り、無数のヒトたちの想いを全身で受けて、自分の心を消費していかないといけないから。

色んな人がそれぞれいろんな理想を重ね合わせて、独りの女の子にそれを背負わせる。

これって本当に"すごい"な、と思っていて、ヲタクがアイドルに向ける眼差しの持つエネルギーってたぶん可視化したらすごくギラついている。当然目に見えないけど。

そのギラついたものを全身で受けて それぞれの理想を体現しようとしてくれるアイドルって本当にすごい。そりゃ「生きてるだけで偉い」わけだ。

心も体も健康に生き続けることがいかに奇跡か。

普通におかしくなっちゃうよね。

おかしくなるつもりなんてなくても うっかり心が壊れてしまうことなんて大いにある。たぶんね。

 

 

そんなわけで個人的な考えとしてアイドルってちゃんと“期限”があって、しかもそれは耳障りのいい言葉に置き換えれば“期間限定”なのだけど、はっきり言ってしまえば“消費期限”だ。

 

消費だけしていたらいつか人はダメになってしまうし、壊れてしまう。

私なんかが彼女たちの立場なら たぶんもっと早い段階で心の中の柔い部分が蝕まれていたと思う。

 

それでもなぎは最後まで「=LOVE齊藤なぎさ」として私たちに両手いっぱいの愛と笑顔を届けて、アイドルという姿に夢をみさせてくれた。

 

天才だ。もう、大天才アイドルだ。

 

そしてセカンドキャリアまで考えてこのタイミングでグループを去ることも自分で決断した。

どこかに必ず存在するアイドルとしての“期限”の目いっぱいをキラキラ輝いて終えられるアイドル、たぶん私は齊藤なぎさちゃんしか知らないしこれ以後知らなくても良いや。

 

 

 

 

他のメンバーを推している身だから、そんな私から送られる言葉なんて もしかしたらなぎにとってなんのプラスにもならないかもしれないけれど、

 

自分が与えられたものや期待に応えようとなぎが一生懸命自分を磨く姿に感動したし、応援したくもなりました。

自分の立場やお仕事を愛して頑張ろうとしているのがとってもとっても伝わってきたし、私はこの5年間、グループを愛する一人として精一杯味方でいたいなと思ってきたよ。

 

少しずつ周りを巻き込みながらイコラブに大きな変化を巻き起こしてくれたのは紛れもなく、なぎのひたむきな等身大に頑張る姿だったと思っています。

 

3年前の秋、ズルいよズルいねで真ん中に立つなぎの姿はそのくらい目を引くものがあったし、現に私はその時なぎのことを改めて一人のアイドルとしてちゃんと好きになりました。

 

誰も独りぼっちにさせないファンとの向き合い方は誰にでもできることじゃない。

才能だと思う。なぎはアイドルになるべくしてなった天性のアイドルだよ。

 

 

イコラブを変えてくれてありがとう。

アイドルになってくれてありがとう。

 

 

出会ってくれてありがとう。

 

 

初めてなぎと話した手遅れcationの北海道ミニ握手

「知ってるよ!」って喰い気味に言ってきてくれた野音の全国握手会

目が合うと黒目がこぼれそうなくらい目を見張ってから見せてくれた笑顔

どんどんうまくなる歌とダンス

イベントがないなかで毎日のように配信してくれたSHOWROOM

 

 

全部忘れないよ。忘れさせないでくれよ。

 

 

 

どうか今以上に幸せになってね。

今よりも心から笑顔でいられる時間を過ごしてね。

 

欲を言えばちょっとしてから、

落ち着いてからでもいいから、

また会えたら嬉しいな。

 

 

テレビで会う大女優にもなって欲しいけど

やっぱりまた直接会いたいんだ。

 

その日を楽しみにしてるね。

 

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やっぱり明日齊藤なぎさちゃんが=LOVEを卒業するのは、嘘だと思う。

 

 

みんながいて私になり 私がいて君になれる ~全国ツアー2022と11人が創る笑顔のレシピ~

 

全国ツアー、キタキタキタキタ…!!!!!

 

 

「このご時世」

このワードを直近2年間で たぶんもう一生分は使ったような気がする。

 

この御時世、全国ツアーやるなんてどうかしてる

そう詰られても仕方ないと思う。

 

 

だけど今、=LOVEにとっては"今この時"にこのツアーを決行することがとんでもない意味を含有しているとも思う。

 

今じゃないとダメなんだ

だって"今"はもう二度とないから

 

 

  もうそう思わざるを得ないくらいに首を長ーーーーーくしてこれを待ってた!

 

どう考えたって私って、イコラブのこと好きじゃん!!!そんなの知ってる!!!!

 

 

そんなこんなで始まりました

 

=LOVE 全国ツアー 「 どう考えたって、君ってイコラブのこと好きじゃん 」

 

 

もう待ちくたびれちゃったよ!

そんな文字だけ見たらちょっとだけ荒っぽい言葉さえ、だらしなく口許が緩んでしまいながらでしか言えないくらいにずっとずっと待っていた。

早くステージ上の皆に会いたくて仕方なくて。

 

 

CD抽選のスペシャルイベントに含まれるライブイベント以外での単独イベントは、なんとたっぷり半年以上空いてしまっていた。

一眼レフを引っ張り出してきたのだって去年の夏ぶりのことだ。

あれ?今までどうやって推しメンたちのことを残してきたんだろうか…なんてことを熟考してしまうくらいには久しぶりなライブ。

 

これまでに東名阪、関東地方を中心にライブツアーをやってきたイコラブだったけれど、公式に「全国ツアー」として各地を回っていたことはなくて。

 

もう嬉しくて嬉しい、「あー!今年もこの季節がやってきたな!」っていうもはや季節行事を待ち受けるような潜在的なレベルのわくわくから更に なんだか奥歯や心臓の裏側がゾワゾワそわそわするような。ちょっとむず痒い不思議で心地よい感覚が心と身体をくすぐってくるような、なんだか懐かしい感情が一気に押し寄せて幸せな気持ちになったのを鮮明に思い出すことができる。

私が好きなものを追いかけていて一番好きな感情だ。

 

 

半年以上の時間が間に挟まってしまった今の11人は 一体どんな世界を魅せてくれるんだろうか。

 

いつだってこのグループはそんなわくわくを惜しみなく与えてくれる。

そんなところが大好き。

これまで何度だって同じ曲を演ってきたし、この5年間でもう数えるのだってちょっぴり面倒になってくるくらいのライブイベントがあった。

オリジナル楽曲は2時間以上のライブをフルセットリスト組むことが出来るくらいの量になっている。

 

それなのに何度同じ曲を聞いても、見ても、会いに行っても、全く飽きない。

飽きないどころかどんどん気持ちがプラスに更新されていく。

 

どう考えたって私ってイコラブのことs(以下略)

 

 

今回ツアーの中盤で11枚目シングルの表題曲と終盤でカップリング曲の解禁があった。

これまた感情でありツアーの思い出であり、これまでのイコラブちゃんたちの軌跡に準えたようなとっても素敵で深い楽曲としてツアーの記憶の一部に溶けていったからこそ 今回のこの記事においてもそんな役割を担ってもらおうかな。

この曲は何回聴いても「良い」曲だな。

このタイミングでこの曲と巡り会えて良かった、奇跡だなって思える。

 

 

 

出会えたのは奇跡

モノクロの教室をどこか孤独に思っていた

 

「好き」という感情に色を付けるとしたら 何色を宛てがうことが多いんだろう

 

愛とか恋とかそんなのをイメージしやすい赤?

可愛らしい感情の具現であるピンクかもしれないし

暖かい気持ちがオレンジにもなるかもしれない

 

失恋したばかりの人は悲しさと寂しさで青に

憎悪の感情に塗られた人は黒にするんだろうか

 

 

最近、「好き」という感情に色をのせるなら "透明"が一番しっくりくるような気がしてきている。

 

「好き」はすごく多様な気持ちだ。

 

この11人を追いかけていると、この歳になってこんなに感情が衝動的に動くことがあるんだっていうある種驚きが何にも勝ることが多い瞬間が少なくない。

笑顔のレシピの歌い出しじゃないけど、この11人が同じグループに選び抜かれて今もこうして活動していることって他のどんな日本語よりも「奇跡」っていう言葉がしっくりきてしまうくらいには偶然であり必然だと思う。

 

イコラブちゃんたちに出会ってたからモノクロだった時間が全部色んな感情に彩られるようになった。

もともと有った色だって、より濃淡がハッキリ鮮やかになった。

 

コントラストがはっきりしたからこそ 孤独に感じていた時間が減ったし、それってやっぱり奇跡なんだよなぁ…。

 

 

仲間が増えたって 毎日ずっと思ってるよ

君のことを

 

 

びっくりするくらい一人ひとりのファンのことを大切にしてくれるみんなが 最近ちょっとだけ苦しそうに見えていた。

 

大切にしてくれようとしてくれたって どんなにそれを本気にしていたって、やっぱり1人の人間が他者に与えられるものには限界があるから。

そのくらい今のグループは飛躍的に大きく 対外的になっている。

 

だけど、真面目で優しい11人だからこそこの歌詞みたいに どんなに大きくなっても、物理的距離が埋められなくても、ずっとずっと一人ひとりのファンを忘れずに大切に思っていてくれるようとするんだろうな。

グループ名の由来に込められたプロデューサーの想いに則って、この5年間いつだって11人は本当に本当に一人ひとりに愛を与えようとしてくれていると思う。

 

 

この高鳴りを (伝えたい)

ドキドキしてる( はじめて )

 

今回のツアーが北海道からスタートした時、今までに見た事の無いようなグループとしての"強さ"を一番に感じた。

 

冒頭にも書いたけど、基本的にイコラブちゃんたちに会いに行くとプラスの感情がアップデートされていくからこそ 何かの予定がある週末が嬉しくてワクワクドキドキする。そんな時間がここまでずっと続いているしこれからもそうであって欲しいと思う。

 

どんなに筋トレみたいな荒っぽいセットリストも11人なら絶対に物語性を感じさせてくれるっていう期待値の高さがやがてグループへの信頼に変わったし、それが一番にあったのが4周年で。

だからこそ今年の春は すごく安心した気持ちでツアーの初日を迎えた自分がいた。

一ヲタクが抱く感情として相当烏滸がましいだろうけど、どんなに乱暴で無機質なセットリストだったとしても 目の前の一つ一つに真摯に向き合える今の11人なら絶対に素敵なライブに仕上げてくれるから。

正直最近のライブセットリストや構成は結構メンバーのパフォーマンス力に総てを預けきったようなものが多いなと思っていて。

フリートークが得意じゃないイコラブだからこそ、或る意味強さを活かした構成なのかもしれないけれど、それでもやっぱり極限までMCがなかったりとか 少しびっくりするようなタイミングで事務所の倉庫から引っ張り出してきて即座に「これならヲタク喜ぶっしょ!」と言わんばかりの脈絡ゼロな着ぐるみ衣装を持ってきたり(あくまでもこれは妄想と偏見なので事実無根だけど)とか、そういうことに対しての違和感とか悲しさは拭えなかったのもある。

3つ目の姉妹グループができたこのタイミングで、一番お姉さんになった11人のことを本当に大切にしてくれてるんだろうか、、と感じてしまったのも事実だった。

でも、そういうマイナスな気持ちをステージから楽々と吹き飛ばしてくれる勢いが 今のイコラブにはある。

 

だからこそ久しぶりに少し大きめのステージで11人に会えた北海道初日、その期待値と信頼の高さから それ以上のものを見せてくれたイコラブちゃんたちの姿にすごく安心したし、これからこの約2ヶ月間そんな彼女たちと全国を巡れると思ったら底知れずワクワクドキドキした。

 

 

 

だけど。

 

 

なんだかおかしいなとは思った。

でもそれは微かな翳りだったから、気の所為だと思い込むようにしていた自分もいた。

ここまで確固たるものになっていた11人への信頼に自信を持ちたかったし、そんな感情と翳りが透明の気持ちを汚い色に染めるなんて許したくなかったから。

 

そう思いたかったけれど、

やっぱり何かがおかしかった。

 

直接的に書くには申し訳ない気持ちが勝つけど、やっぱり自分の感想としてきちんと文字で残そうと思う。

 

見ていて一番ドキリとしたのが杏奈だった。

 

いつだって全力の責任感でグループに居てくれていた杏奈が、虚無の空気感でそこに居ることを見たのが初めてで。

一番それが色濃く滲んでいたのは山口公演だった。珍しくダンスに覇気がないし、なんだがふとした瞬間にカラっぽになったような眼をしていてすごく心配になった、し、すごく焦った。

 

一体イコラブに何が起こっているんだろうか

 

 

すごくザワザワした。

 

 

後悔しないように生きたいんだ

 

たぶんだけど、"リーダー"っていう立場は結構孤独だ。

誰にも言えないことや 甘えることを許せない自分と常に闘わなくちゃいけない。

リーダーらしく「こうでなければならない」なんていう筋書きはないけれど、責任感とメンバーへの愛情がその甘えを許せないことだってきっとある。

 

ここまでセンターとしてグループの先頭に立ち続けた瞳がその荷を下ろした時、11人それぞれがいろんな感情を抱えだろうし、特に杏奈はいろんなメンバーの思いを知りつつ大切に真っ向から受けとめていただろうから すごく負荷がかかったと思う。

愚直で愛に溢れた優しいリーダーだなって私は勝手に思っていて、だからこそツアーの中盤であの子コンプレックスが発表されたと同時に すごくスッキリした顔つきで弾けるように踊ってくれていた杏奈に これもまた勝手にすごく安心してしまった。

 

他人に対して無責任に「この子はこれが似合う」とか「適正だ」とか言っちゃうことって時にめちゃくちゃに相手を苦しめがちだけど 、そのリスクを横目に見たってやっぱり杏奈には元気でいて欲しいし弾けるように軽くてパワーに充ちたダンスをしてて欲しい。

 

荷を下ろした瞳も

バトンを受け取った舞香も

プラスの何かを得られたら良いな。これもまた勝手に常々思っていること。

 

だから叫ぶ

「愛してる」

 

センターが違うメンバーになろうと 11人がそこにいてくれる事実は何も変わらないし、

私がこれからもイコラブを好きでいたいと思う気持ちだって変わらない。

 

あの子コンプレックスの初披露を分岐に とってもすっきりしたみんなを見ていたら、やっぱりイコラブに出会えて良かったし好きでいさせてくれてありがとうって思った。思わざるを得なかった。

 

 

ずっと言えなかったんだ

なんだか恥ずかしかった

 

別にこれといった目標がなくてもいい

ずっとそう思ってきた。

 

確かに明確な目標がないとモヤモヤしたり応援する方向性がわからなくなってしまうっていう考え方というか 気持ちの持ち様みたいなものもわかるけど、公に言語化できない漠然とした熱意とか真摯さだって明確な目標に匹敵するくらい素敵な武器だと思う。

この5年間の11人の軌跡は それを立証して且つより確固たる信頼にしてくれた。

 

このステージに行きたい

この景色がみたい

 

そんな具体性がなかったとしても、目の前にいるファン一人ひとりのことを目いっぱい大切にして

曲を作ってくれたプロデューサーやスタッフに心から感謝して

身体の中をぜんっっぶ出し切るようなパフォーマンスでライブをしてくれる11人の姿を見てたら 別に具体性なんてなくて良いと思えた。

 

苦手だって公言していた歌をきっちり克服してきた大谷さんも、

ずっとなりたかったに違いない太陽みたいな明るさとあったかさを惜しみなく発揮するようになった花菜も

また更に自信を重ねたりさちゃんや重圧から放たれてリラックスしつつも手を抜かず楽しむようになったなぎちゃんが魅せてくれる新しい余裕も

今回のツアーで全員それぞれがまた確変したのを感じたし それはたぶん惜しまない自己分析と真面目さ故の成長以外何物でもないから。

 

まだちょっとだけ遠くて

背伸びしても届かないけど

 

アイドルブームがすっかり冷たく息を潜めてしまった今、正直いつグループの存続が危うくなるか分からないし、また来年ツアーが催される保証なんてない。

「次」がないかもしれない恐怖が常にあって、誰しもがそれに気づかないふりをしている。

高望みするなとかそもそも期待してないとかそんなことを言いたいんじゃなくて、ただそこにいて、目の前のことに全力で取り組みぶつかり続けられるイコラブちゃんたちのことを心から尊敬できるし、信頼してるということだ。

愚直に頑張り続けることって絶対容易いことじゃない。

単発的に"頑張る"ことが出来たとしても、それを続けることはすごくすごくエネルギーを使う事だ。

況てその頑張りを結果に繋げることは更に難しい事でもある。

そう思って11人なりのアイドルグループの在り方を追い続けてきた。

個人的にはこれで良いと思ってきた。

 

 

私、あのステージに立ちたい

 

たぶんずっとそう思ってたんだろうけど、自信もないし実績もないからこそ言葉にすることを躊躇ってきたのかな。

この歌詞をみんなの口から聴いた時 すごく不思議な気持ちになったのが忘れられない。

 

ここまで先行的に具体的な何かを目標として口にしてきたことは無かったけど、例えちょっぴり非現実的で誰かに無理だと笑われそうな事だったとしても 皆が皆のコトバで口にしてくれたら"いつか" "必ず"叶う気がした。

皆なら"そこ"に連れていってくれる気がした。気がする。

 

口にすることを恐がって避けていた11人が、グループとして大きな夢を語ってくれるようになったことが事実として新鮮で嬉しくて。

昨今具体的な何かを目標として口にできる勇気も野望も持ち合わせている人はそう多くないから。

私だって例外じゃなく日々の忙しさにかまけて何時ぞやから目標なんて持つことすら忘れてしまっていた。

日々の時の流れに身を任せて生きていくのは 思っているより大変だし、それでいてちょっとでも油断すると誰でも陥ってしまう状態だ。

今回のツアーだってスケジュール的にとっても大変なメンバーも多かったと思う。

特にドラマの撮影やメディア仕事が多かったなぎちゃんは時間的な制約がすごくキツかっただろうし、瞳や舞香は敢えて記すまでもなく負荷がかかったと思うし、いーちゃんは体調面でとっても不安だっただろうな。

そんなことを思うに容易い状況だったけど、約2ヶ月18公演 11人で握った手を離さず完走してくれたし、みんなで11人の新しい目指す世界を新曲の歌詞として魅せてくれた。本当に愛おしいグループだなって心からそう感じる。

それだけじゃなくてしっかりと目指したい場所まで指し示してくれた。

 

 

 

 

もともとアイドルは規模を問わず大好きだったし、いろんなイベントに行った。握手会もチェキ会も大好きだったしライブを見るのも大好きで。

名前や顔を知っているアイドルが所属していたグループを卒業して 別のグループへ転生するのは何度も何度も目にしてきたから、最初は"そのくらいの些細なこと"でしか見ていなかった。だけど、"=LOVE"っていう曲に不思議と惹かれて 忙しい毎日の中のほんのちょっぴりしか無かった むしろ自分ですら気づかなかった隙間に イコラブの存在が沁みて 入り込んできてたのが4年前の秋頃のこと。

当時助産師の養成大学に通っていたから実習も課題も山積みで 文字通り時間に余裕が全くなかった私だったけど、やっとポッカリと出来た休みの日 12月24日にイコラブの全国握手会が有ったのは偶然じゃなくて必然だったんだと信じて疑わない私がちゃんと居る。今も。

 


過去の推しの共通点で歌声が太くて 優しく伸びるアイドルが好きだったのもあって、家でYouTubeを眺める程度だった夏頃の私も"イコラブの歌が上手い子"としていーちゃんのことは初めから顔と名前は一致してた。なんとなく気になってた。でも、その程度。

 


せっかく会いに行けるのなら、話せるこのたった1枚の時間は ちゃんと顔と名前が一致する 優しくて芯のある歌声を持ってる子にって思った。

立派な動機なんてなくて、本当に本当に軽い気持ちだったし、深い理由があったわけでもない。

 

だけどあの日、たったの10秒もない一瞬が 4年経った今でもずっとずっと忘れられない。

正直どんな言葉を交わしたか 記憶なんて補正されしまったから正確なことは当人が曖昧になってしまってる今、もう何にも残ってないのだけど。でも「この子のことをもっと知りたい」って強くそう思った。たったの10秒で なんでか分からないけどものすっっごく充たされて、心と脳があったかくなって、とっても幸せな気持ちで家に帰った。


そこから"きっと君だ"の公開収録やSHOWROOM。初めて名乗った大阪の個別握手会で相談した団扇を抱き抱えて入った初めての定期公演が、驚くことに最前だったこと。知れば知るほど、=LOVE野口衣織という存在に触れる時間が重なれば重なるほど、もっと知りたいなって 無限にそう思った。

 


何かに寄りかかって自分の人生を頑張ることがこんなにも気持ちを楽にするんだって 改めて気づかせてくれたのがいーちゃんだった。

あのクソほど忙しい毎日の中で ほんのちょっとしかなかった隙間にもちゃんと入り込んで遺ってくれたイコラブの存在にちゃんと気がつくことが出来て、あの日上野に逢いに行く選択が出来て、やっぱりいーちゃんに、イコラブに出逢えたことっていろんな偶然が折り重なって生まれた必然だったんだと信じてる。

 

 

いろんなことが積み重なると 一つ一つがどんなに"透明"な気持ちでも不純物で見えないものが増えていく。

だけど

 

私 わかったんだ

みんなのこと「好き」だ、って

 

今回のツアーを通して痛いくらいにそれに気づいた自分もいた。

憧れであり夢である"あの場所"へみんなが必ず連れていってくれる。

 

この気持ちは誰にも汚されたくないしずっと"透明"でいたい。

11人が いーちゃんが信じる道をひたむきに突き進んでいく有限で貴重な時間をこれからも大切にしたいな

 

 

笑顔のレシピで創った景色は一体どんな眺めなんだろうか。

それが見られるまでしねないね。ヲタクとしてだけど、もちろん。

 

 

今日という日が

アイドルとして生きる11人の毎日が

"あの場所"に導かれたものでありますように!

 

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"永遠に"なんて言わないけれど ~=LOVE 4周年記念LIVEの感想と独り言~

 

イコラブちゃん、4歳のお誕生日おめでとうーーーーーー!

(どんどんぱふぱふ!)

 

 

 

 

びっくりするくらい長い時間、11人のことを追従させてもらっている気がする。

そっか、もう4回目の周年ライブになるんだね。

 

 

コロナウイルスがこの世界の日常を捻じ曲げてから早いものでもうすぐ2回目の冬がやってこようとしている。

 

やっぱりどこか鬱々としていた2021年の夏だったけれど、やっぱり私にとってこの夏から秋口にかけての風の匂いの変わり目が大好きで、それは絶対に空気が少し冷たくなってくるとイコラブのお誕生日がやってくるのが感覚的に分かるからで。

 

そういえば去年のお誕生日ライブはものすごく久しぶりの有人ライブだった。

お誕生日、ということ以外にもとっても特別な意味とタイミングになった日だった。

 

 

早いもので4回目、

 

今年の晴れ舞台は幕張メッセ

 

 

これもヲタクの勝手な潜在意識レベルのことだけど、"一緒にお祝いする"というスタンスから、いつからか恭しくおもてなしされるようになってしまった。

そのくらいグループを取り巻く環境はきらびやかに成ったし、彼女たち自身が大きく強く、それから美しくなったと思う。

 

ちょっと寂しいけれど、それでも無条件に楽しみでもあった。

 

最後に幕張メッセを訪れた時、

あの時はまだ大ホールを半分に仕切ってでないと埋まらなかったね。

 

4回目の周年記念を迎えた今の彼女たちは あの大きな会場を一体どんな色に染め上げてくれるんだろう。

 

わくわくしながら当日を迎えたのが記憶に新しいし、何回目のお誕生日だろうとやっぱり私はイコラブちゃんのことが本当に本当に大好きで愛おしいんだって 改めて文字にするとなんだかこっぱずかしいけれどそんなことを思った。

 

 

できるだけ整った日本語で丁寧にまとめたいと思ったけれど、これ以上は気持ち悪くなってしまいそうだから前置きはここまで。

今回は大好きなイコラブ4回目のお誕生日祝いについて。大好きな大好きな11人の成長と軌跡と奇跡について。

 

 

2021/09/20

=LOVE 4th ANNIVERSARY PREMIUM CONCERT

 

M1,祝祭

M2,CAMEO

M3,いらないツインテール

M4,しゅきぴ

M5,僕らの制服クリスマス

M6,アイカツハッピーエンド

 

M7,ズルいよズルいね

M8,手遅れcation

M9,記憶のどこかで

 

M10,Want you! Want you!

M11,部活中に目が合うなって思ってたんだ

M12,ズッ友案件

M13,ウィークエンドシトロン

M14,Oh!Darling!

M15,君と私の歌

M16,探せダイヤモンドリリー

M17,青春サブリミナル

M18,夏祭り恋慕う

 

En1,866

En2,桜の咲く音がした

En3,スタート!

 

En4,=LOVE

 

「祝祭から始まったんだよ!」

ってニコニコの笑顔でいおが話してくれたけど、

 

なんて言ったらいいんだろう。

 

今まで見たことがないライブだった。

 

 

世界観

 

というのもこんなに冒頭の世界観がしっかりと統一されているイコラブのライブは今までなかったから。

アリス・イン・ワンダーランドを彷彿とさせるOverture前の映像から驚きとわくわくが抑えきれなかった。4周年ライブの招待状を受け取った瞳が森の中へと迷い込み………

 

正装した11人が瞳を先頭に一人ずつ穴の中へ落ちていく映像。

 

漆黒から浮き上がった紺色のシルエットは

暗闇に聳える古い大きなお城だった。

 

"ようこそ 我が城へ____"

 

まるで祝祭が序曲のように、深みのある表情でワルツのテンポを刻むメンバーの動きが これから始まるコンサートの会場を一気に舞踏会へと引き込むようで。

 

overtureの映像や大掛かりなセットは勿論外表的な雰囲気作りのお手伝いに過ぎない。

 

そうじゃなくて、もっと内側の、11人がちゃんと同じ方向を視て 内側から今の=LOVEが魅せられる最大限の空気感を醸していたことに鳥肌が止まらなかった。

 

すごい

 

在り来りな3文字が、自分のその時の気持ちを一番端的に表せてしまうくらいに。

それ以外の余計な何かが一瞬で吹き飛んで以後ライブが終わるまでの数時間 邪心も余裕も全く沸き立ってこなかったのが何故か悔しいくらい。

 

そこからの流れるようなCAMEOの入りが本当に素晴らしかった。

冒頭で掴んだ心をそのまま離さずにむしろさらに引き込んでくるだけの音の作り方と、それに見合う11人のチームとしての集中力が本当にすごかった。

 

"崖の前立つ貴方に 触れたならば"

 

"もう永遠にさよなら"

 

うっかり騙されて堕とされたまま気を失ったところで瞳の目の前に有る配信カメラが 観客たちのそのままの視界になって、襲われトランスされるように乱れたところでのCAMEOのイントロ

 

歌詞そのままの意味と世界観を汲んで溶け込むように次の曲へ移り変わる____

 

小手先の演出だけじゃ安すぎる。

 

それがきちんとひとつの世界観として成立していたのは、紛れもなく今の=LOVEの持つ最大限のポテンシャルが生かされた瞬間だったと感じたし、出逢った頃の彼女たちからは想像もできない変化と成長だった。

 

それからもちろん、これはオンラインとオフラインが混じり合う御時世だからこその演出でもあったと思う。

 

用意されたものやチャンスをしっかりと有難くモノにしていく=LOVEの活動の軌跡がきちんと濃縮されていたし、あの幕張メッセの大きなメインステージでさえも"狭く"感じさせるくらいの堂々とした一人ひとりの立ち振る舞いが4年の年月を感じさせてくれた。

 

もちろんそれだけではなくて、個々のレベルがあがったことも特筆したい。

2番前の"スーパーオオバハナタイム"ではちょっとだえ肩に力が入りすぎていたように見えた推しメン二人の「やりすぎ感」がちょうどよく中和されて、とってもしなやかになったのが印象的だったし、みりやなぎのつやっぽさと目を細めるときの表情にいろんなパターンが生まれていたことに

 

んんんんんんnさ"い"っこ"ーーーーーーーーーーーー!!!!!

 

・・・・と雄たけんだのは私だけじゃないはず。はず。はず。

 

この4年でそれぞれが身につけ培ってきた「自信」が内側から個々を強くしたし、CAMEOみたいな曲では圧倒的に「それ」が味方してくれていたのがとっても良かった。CAMEO、どんどん確変していく曲で好き。

 

 

いらツイに見る 確変突入率と黄金比

 

これはTwitterにも残したけれど、私が今の=LOVEのライブパフォーマンスにおいて一番大きな"確変"を感じるのは言わずもがな いらないツインテールだ。

 

会場の大小に関わらず この曲はステージに立つ全員がいろんなものを"吹っ切る"必要があるしその感覚と動きに見合った自信が必要な曲じゃないかなぁ……なんて。

 

パフォーマンス中の容姿もそうだし、ただがなるだけでは喉を痛めてしまうから適切にシャウトしないと踊りきるメンタルは維持できないし、自分たちの煽りに自信がなければ羞恥心が見ている側に驚くくらい微細に伝染していってしまうような曲調だからこそ、私は勝手にイコラブちゃんたちがグループとして披露することに苦手意識が芽生えてしまうような曲なんじゃないかと思っていた。

 

私 いらツイ系の煽りやれって言われたら恥ずかしくてしんじゃう

 

っていう冗談はさておき、平静な感覚でいたらあんな可愛いお顔してあんなゲスい煽りするのめちゃくちゃ恥ずかしいだろうし ドキドキするだろうけど、それをちゃんとやりきるし ケースバイケースで少しずつ言葉尻を変えて飽きさせないようにしてくれる工夫だって今のイコラブちゃんたちにはできる。

それはこれまでの沼や届いて・・・になんとなく汎用されていたその地域の方言で大好きだよ♥や今夜は帰りたくない!をもじるようなありきたりの変幻ではなくて、見ている側の"今"をちゃんと意識した言葉尻、若しくは煽りそのものに変化をつけることができるようになったのはライブパフォーマンスにおける自信や余裕の表れじゃないのっかって。すごいなぁ。こんな微細なところにも四回目の周年ライブの流れと11人の成長を感じてしまう婆であった。(完)(終わらないんよ)

 

前曲のCAMEOでセットとしてそびえる"城"を城壁に位置するスクリーンが映し出す真っ赤な炎がぐるりと焼き討ちにして取り囲んでからのいらツイ。

こんなにも

 

「この会場は 我々が乗っ取ったー!!!」

 

がハマる瞬間、これまでにあったかな。

 

なぎの歌声のパワーが爆発しすぎて最高だったし、この曲に限ったことではないけれどひたすらきあらの歌声の安定感がすごい。やっぱりピンエンは良い。

 

思えばTIF2019のスマイルガーデンで初めて舞香の吹っ切れたような煽りが最高にハマってからいつしかこの曲は今のイコラブの強みを活かしたギャップの曲になったし、今回の周年ライブにおいてはこの4年間の集大成と著しい成長を魅せつけてくれた一曲だった。

 

 

"アイドルなんて"

 

いらツイからの空気が曲と共に一変してここから怒涛のしゅきぴ、僕クリ、アイカツといった明るい曲調の3曲。

メインステージとバックステージを結ぶ1本の花道を使って、きらっきらの笑顔でレスを振りまきながら駆け抜けて移動していく場面転換に一ミリの無駄も隙も与えないイコラブの"本気"を感じた気がして。

 

ちょっとよくわからないMCで転換を図るよりも、今のイコラブは絶対にこうやってパフォーマンスで白と黒のコントラストを魅せる方が得意だと思う。

 

しゅきぴからの僕クリでは流れるようにセンター後ろから瞳が出てきて、まったく違和感なく僕クリのポジションへ移っていたのも印象的。

みんな立ち位置覚えるの大変だっただろうな・・・(誰?)

これまで何回も、何十回も、ううん、何百回もライブで見てきた曲だからこそ、こうやっていろんな前後の曲のパターンや箱のサイズで変わるポジションや歌割、立ち位置なんかをいろんなタイミングでアップデートしているアイドルって本当にすごいなって思った。改めて。

 

「アイドル」

 

最近敷居もずいぶん低くなった。

コロナ禍においていろんな制限制約が社会的に出てきた影響もあってかなり緩和されたけれど、接触を売りにする分ライブやステージパフォーマンスは求められるものとして二の次三の次になりがちなのも感じる。

だからこそ非ドルヲタから白い目でみられがちなアイドルという職業だけど、イコラブを見ているとやっぱりアイドルって尊いし、キラキラしていていろんなことに全力で向かっていく等身大の女の子たちのシンデレラストーリーを一緒に追従させてもらえる気がして大好き。本当に特異で素敵な仕事だと思う。

 

自己紹介も兼ねた挨拶と、バックに流れるディズニーショーパレを彷彿とさせる音楽に合わせてそれぞれが考えたという振付でアピールするメンバーの姿を見ていたらなんだか泣けてきてしまった。

これだからアラサー年増しヲタクは涙腺が財布の紐並みに緩くて困る。

 

何度みんなの笑顔に救われたかわからないよ。

いろんなことがあって直接会うことも言葉を交わすことも難しくなってしまったから、正直ものすごく寂しい。でも、ちゃんとまた"会える"といいな。

 

 

体力と気力と集中力と

 

明るくポップな自己紹介から一気に照明が落ちてのズルズルもまた攻めの姿勢を感じたし、いらツイとまた違った11人の確変を目の当たりにできる本編中盤パート。

 

これまでのイコラブだったらユニットなどを挟んで、こういったら少し毒があるかもしれないけれど各々が目に見えた休憩タイムを確保しようとする節が目立っていた。

特にここに手遅れcationなんかの曲をもってきてしまうと、明らかに手を抜いて体力を回復温存しようとするメンバーもいたように見えた。

 

でもそんなことはもう既に過去の話だ。

 

そういえばアニバーサリーブックの衣装紹介ページでも48Gお抱えの衣装担当茅野しのぶさんも記していたけれど、ここ半年くらいでイコラブを取り巻くファンの母数は取り巻く環境とともにすごい勢いで大きくなっていったし、それとともにしっかりメンバーにも自信の輝きが透けるようになった気がする。

 

だからこそズルズルやcationみたいに入り込んで「なりきる」曲の厚みがより増したし、ここで敢えて個人の名前を出して触れておきたいのだけど、花菜の歌声に温度感の幅が圧倒的に広くなったのが素晴らしかった。

季節や色で云うとズルズルとcationって分かりやすく対極にあるような2曲だと思っているのだけど、まぁ発声方法が違うといったらそれまでではありつつ、吐く息の白さが見えるようなズルズルから情熱を帯びた憎しみが燃えるcationまで、花菜の出す歌声がこんなにも温度感の変化を感じたことって今まであんまりなかったからこそ努力の影を見た気がしてとっても嬉しくなってしまった。

 

自分のパフォーマンス映像を毎回しっかり分析しつくして、どんな踊り方や歌い方が自分に合っているのかを"反省会"と称して顧みる花菜の姿勢は、アイドルとしてだけではなくてどんな職業であろうと「真摯であり続ける」ことの具現だと思うし、私はそんな子を推すことができていてすっごくすっごく幸せだなと思った。

アニバーサリーブックの個人ページで自身の3年目を「焦り」とも表していたけれど、自分の弱みも強みも知っているからこその感情だったんだろうし、進むことを途中であきらめてしまったらこんな気持ちにはきっとならないんじゃないかな。上に行きたいからこそ、前に進みたいからこそこうして焦ったり悩んだりもがいたりする。

私が最後に「焦った」のは一体いつのことだろう。

 

 

"友達じゃない 家族じゃない"

 

敢えてここに一つの記事として残しはしなかったけれど、この夏はいろんなことがあった。きっと直接的に触れるべきではないのかもしれないけれど、いろんな人がいろんな思いを抱えて、相違であればあるほどぶつかっていろんなよくないものが生まれた夏だったと思う。

 

このグループに出会って早いもので4回目の秋になった。

 

途中でお休みをもらって下船したり、大きな愛を残して去っていった仲間もいた。

大きな歌番組に御呼ばれすることはあんまりなかったし、

そういえばコンサートの規模だって一定期間は大きくならずにいた。

 

停滞を感じたのはきっと誰よりもメンバー本人たちだっただろうな。

 

それぞれが優しくて気にしすぎるくらい周りを気にしてしまうからこそ、きっといろんなことで悩んだり苦しくて暗い気持ちになったんだろうな。

 

これがいっそのこと"友達"や"家族"と呼べる関係ならば、もっとお互いに楽だったのかもしれない。11人の関係性って11人本人たちにしかわからないし、11人本人たちしか他者に影響する言葉で語るべきではないと思う。

 

さっきも書いたけれど、アイドルっていう仕事は本当に特異だ。

だからこそその時の苦しみや悲しみ、孤独なんて、私には分かりっこない。

想像ですらない。ただの妄想だ。

 

だけど嘘であろうと本当であろうとそんなことは関係なく、ただただ目に入った文字であり言葉が刺さって抜けなくて辛いことって誰にだってある感情と経験だと思うし、

「調子に乗ってる」ように見えるからって何を突き刺しても許されるようなら、どんな凶悪犯罪も肯定されてしまう世界と同等の空間に生きるくらいの辛さだ。

辛いなら辛いって言っていいし、

怖くて立ち止まりたいという感情だって当たり前だと思ってる。

泣きたいなら泣けばいい。助けてって言ってもいい。

 

本当のことなんて当事者にしか分からないからこそ、私は自分の目に見えている11人のその姿がすべてだし、大好きで大事だと思うからこそ自分の言葉で彼女たちを傷つけるようなことは絶対にしたくないと思っている。

 

オンラインで気軽に交流できるようになったことや、各種SNSがアイドルたちと直結できるパイプとして手軽に自分の感情を投げつけることができるようなネット社会だからこそ、ちょっとでも気が抜けて相手の顔が3Dで感じられなくなるとすぐに言葉の鋭さが悪意に比例するし相手の存在に温度がないからこそ「なにを言っても許される」と錯覚してしまいがちだ。

でもその言葉を受け取る相手がいるならば、自分以外の誰かに向けられたことならば、絶対にプラスの温度感は発信するうえで感覚として失っちゃいけない。

自分の常識と正論を相手に押し付けるなんて正義でもなんでもないし、迷惑行為にもほどがある。無責任すぎる。アイドルは"偶像"かもしれないけれど、歴史の教科書に出てくる故人ではなくて、今この瞬間にこの世界で息をしている人間だ。

 

すべてを肯定できないのは当たり前だけど、全肯定しないことは否定をしなきゃいけないことではない。

別に「好き」は何かを「嫌い」にならないと伝えられない感情でもない。

自分以外の「誰か」を本気で想っていると、きっとこれからもいろんな至難がやってくるだろうけど、アイドルとしての推しメンを信頼できている今を大切にしていきたいし、同じ文字なら刺さって抜けない刃じゃなくて毛布やゆたんぽみたいに押しつけがましくないあったかさを持った言葉を伝えたいな。生きる世界が違うと難しいけど。

 

 

 

思い返すと初めてイコラブを見たとき、私の視界には推しメンただ一人しか存在していなかった。

寒くて、特に前で見たいという欲もなくて、なんなら握手券を使わずにライブだけ見て帰るのもありかななんて思った2017年12月24日。

 

それが今、こんなに11人一人ひとりに思い出があって、感情があって、それぞれが絶対に誰からも何からも傷つけられずに幸せになって欲しいなと思える存在になった。

 

 

 

前に所属していたグループが好きだった名残で私をイコラブに引っ張ってきてくれた存在が実はみりだった。みりがイコラブを受けて合格したっていうエピソードがなかったら私は今ここに居なかったし、いおや花菜とも出会えなかったかもしれないね。

「話すことが苦手」って小さい震える声でマイクを握っていたのに、気が付いたら肩の力が抜けてすっごくリラックスしてそこに居る頼もしいお姉さんになってた。

髪の毛一本一本にも神経が通っているような女の子であることを誰よりも誇っているようなダンスが大好きで、みりのライブ写真は本当にどこを切り取っても「かわいい」で溢れてる。私が初めてイコラブの画像を保存したのも、静止画ってこんなに奥が深くて素敵なんだなって思わせてくれたのも全部みりだった。

気まぐれに遊びに行く私のことも優しく相手してくれて、いつだってぽんっと嬉しい一言を当たり前のように伝えてくれる。そんなみりだからこそ、これからもちょっかい出しに時々遊びに顔出させてね。4周年のCAMEO最高でした。

 

 

りさとは4thの時期にひたすら全握のレーンをぐるぐるした時に他愛もない話をしたのが忘れられない思い出(笑) ライダースの袖をひっぱりながら「よくこういうの着てるよね」「似合うね」って言われたのが嬉しくてびっくりして今でもよく覚えてます。

本当に独特の世界観と周りに流されないマイペースさに安心するし、不意に出てくる謎な発言が本当に面白くて可愛い。cinemaでセンターを任されてからダンスに自信が滲むようになったのかなって勝手ながら思っています。

誰よりもスキニーが似合う実写版バービー人形みたいな異次元スタイルがイコラブの可愛い衣装によく映えてるし、それでいてめちゃくちゃ大食いっていう一面が良すぎる。

これからもどうかマイワールドを貫いてね。

いつかいーちゃんの夢である脚の抱き枕が発売されますように。え?

 

 

たぶんいろんなものを背中にしょって、向かい風を全面に受けながらもしっかりと与えられたものを大切にしようとする姿勢にだいぶ年下な女の子ながらに尊敬の念しか憶えないなぎ。

不意にセンターを任されてから本当に改変したパフォーマンスとアイドルとしての「あり方」が大好きだし、いろんな言葉を投げつけられながらも現実的に自分ができる最大限の努力で立ち向かう姿勢にとんでもないプロ意識を感じています。

自分に向けられた愛は何倍ものサイズに膨らませた愛で返してくれるし、そんななぎだからこそなぎとなぎのファンの間には確固たる絆と独特の距離感があるんだろうな。

見てる人はちゃんと見てるから。絶対に味方はいるから。

零れ落ちそうなくらい大きな瞳で会場全体を丁寧に見渡して、ピンク色のサイリウム一人ひとりに向ける笑顔がこれからも見られますように。

最近意識してると言っていたけど、手の伸ばし方や膝やつま先のつけ方が曲調に合っていてすごく好きです。その丁寧さ、最強です。

 

 

この4年で誰よりも思春期の女の子の姿を追従させてくれたきあら。

前々から知る人ぞ知るっていう感じで「きあらのダンスはいいぞー!」なんて言われていたけれど、パフォーマンスにおけるベースと信頼性の高さが圧倒的に長けているし、唯一無二な歌声がイコラブには必要不可欠。

それでいて愛すべき最年少ポジションとしてのクソガキっぷりが愛おしすぎる。

きあちゃんがマイクを持てばメンバー他10人が一瞬で親の顔つきになるのがおもしろすぎるしこれは一生イコラブライブにおける風物詩だと思う(笑)

抜群の安定感がありつつ艶っぽさや甘さもだせるきあボーカルが良すぎる。それから個人的にはSHOWROOMで披露していた秘密インシデントのカラオケカバーが本当に本当に良かった・・・これからもぜひきあちゃんの歌声でいろんな曲が聴きたいな。

 

 

周りのことを本当によく見ている冷静端的さが大人だなぁと感じる舞香。

誰よりも安定感のある歌声が武器といえないくらいの整った顔面が今日も本当に良い。本当にすごく良い。顔がいい。でも顔がいいだけじゃないのが舞香。

さっぱりした性格と実はダンスが苦手なギャップに人間味が溢れていて。

舞香が居てくれるMCは安定感がすごいし、自虐も惜しまないからこそおもしろすぎる。早く声出しが許される世の中になって欲しい理由の一つに、舞香が仕切りをしてくれるMCで思いっきり声出して笑いたいからっていうのがあるくらいには好き。

きっと休業を経ていろんなことに踏ん切りをつけてきたんだろうなって、安易に語るのが申し訳ないくらいの芯の強さを感じる。

これからも「舞香今日も可愛いねー!」だけを言いに行くヲタクとして気まぐれに現れようかなって思っている所存。(そうですか)

 

 

ありきたりな言葉でしか彼女を語れないのが悔しいのだけど、ひとみはイコラブの太陽であり真ん中がよく似合う素敵な子だなって最近改めて思うことが増えた。

ひとみがマイクを持って挨拶すればすごく場が締まるし、落ちサビにひとみのパートがくると「あー、これだな」ってしみじみする。それってすごい才能だ。

ひとみが笑っていればきっとイコラブは「絶対大丈夫」なんだろうし、これからもそんな存在感でいてくれたら私たちも安心してそばにいられます。

 

 

いろんな分野で力を発揮しながらアイドルとしての可能性を無限大にしてくれるしょこ。髪の毛を染めたりいろんな系統の私服でお話会を盛り上げようと奮闘している姿が等身大でもありやっぱりアイドルってすごいなぁ、可愛くなろうとする女の子は最強だなぁって同性だからこその目線でSNSを眺めてしまう存在。

「アイドル」っていう既成概念をぶち壊してこれからもいろんな景色を魅せてね。

 

 

直近1年で魅せつけられる「本気」に動揺が止まらないつん。

そして天性のあざと可愛い女です。

ずっと歌にしろダンスにしろ"能ある鷹は爪を隠す"と思っていたけれど、ここぞいうときに魅せてくれる本気やいろんなもののベースが見違えるように高くなってきたからこそこれまでに見えていた魅力も増し増しになってきて、何より天真爛漫なキャラクターが好きすぎ・・・4周年の自己紹介ダンスはMVPあげちゃった(勝手に)(嬉しくないわかる)くらいにキュンってしたし艶っぽい大人なダンスにドキドキしちゃいました、えぇ、はい。

これから舞台も控えているし、きっともっともっと歌声にもダンスにも磨きがかかっていくんだろうなぁ。舞台を終えたつんがグループに戻ってきてくれるのが今から本当に楽しみ。

たまーに遊びにいくから、ぜひまたゆる~ってお話ししてください。「えりぽんじゃーん」ってかまってくれるつんの緩さが大好きです。

 

 

両手いっぱいの責任感で一生懸命動物園みたいなイコラブをまとめてくれる杏奈は、すごくすごく良い意味でずっと変わらないでいてくれているなっていう存在。

きっと杏奈の中では迷いも葛藤もたくさんたくさんあったんだろうけど、それを直接的に出すことなくいつだってグループを守ってきてくれた。

どんなドキュメンタリーを再生しても涙を流すメンバーたちの横にはいつも杏奈の姿があるし、きっと杏奈がいなかったらみんなの心は壊れてしまってたと思う。

いつも「ちっちゃいねー!」っていじってごめん反省はして・・・・・・ませんが杏奈の存在があってのイコラブだと他推しのヲタクだからこ身に染みることが多いんだ。

 

 

 

 

 

それから花菜。

 

いつだって100%の笑顔で「きてくれてありがとう」「話せてうれしい!」ってにこにこしてくれる花菜に会うと、日常の嫌なことも辛いことも全部全部忘れて笑顔になれるような時間をくれた。

そういえば最初は「なんで私なんかに会いに来てくれたの?」って不安そうだったけど、自信と正しい努力ってこんなにも女の子にパワーをくれるんだなって花菜の4年間を思うと本当にすごいなぁってしみじみしちゃう。報われない不条理さもめぐってこない順番も絶対に誰かや何かのせいにしないで、いつだって自分にできることを探してポジティブに努力し続ける。こんな自己研鑽に溢れた子今まで出会ったことない。

 

「衣織とセンターで並べるなんて今でも信じられない」

 

そう言ってたけど、私は花菜のステージでの存在感は真ん中にぴったりに熟したと思うし、いおとダブルセンターを任されるなんて本当に本当におめでとうって思った。

やっといろんなことが報われたなって勝手に思ったし自分のこと以上に嬉しかった。

大好きな子が日の目を見て正当な評価を得るってこんなに嬉しいことなんだね。

私たぶん花菜がいてくれなかったらとっくにヲタクやめてたよ。そのくらい大きくて大切な存在です。

 

 

最後にいお。

 

なんでだろう今こうしていおとの思い出を勝手に振り返っていたら言葉が全く出てこなくなりました。

 

この4年間、どんなことを話したっけ

どんな時間や感情を共有させてもらったっけ

一体何をもらって私は一体いおになにを還せたんだろう

 

たぶん全部が好きで全部が大事だからこそ、一つひとつを振り返ろうとしても空気や水みたいに何もつかめなくて、でもいおが私の4年間に居てくれなかったら、今の私はこうしてここに居ないと断言できるくらいいろんなものの一部でした。

 

いおが悲しそうだったら私も悲しいし

いおが嬉しそうだったら私も嬉しい。

 

そんな感情のうねりが いおを好きになってから私の"当たり前"であり"日常"になりました。

 

今まで出会って接してきた誰よりも、誰かの目に映る自分への評価に辛辣で、常に何かに怯えているようで、でもそれは人一倍優しいからで。

 

そんないおに一体どんな言葉で何を伝えたらその抱え込んでいるものをちょっと持たせてもらえるんだろう。ううん、持たせてほしいなんていうことすらおこがましいね、抱え込んでいるものの大きさも重さも私にはわからない。

 

オンラインってとっても難しいしもどかしいね。

私が心の中や頭の中で考えていることも伝えたいことも、全然うまく言葉にできなくて、電波の生むタイムラグに呑まれて負けてしまう。

本当はもっともっと伝えたいことがあるんだ。

 

だけどこれだけは言える。

いつか、いおが「辛い」とか「もう無理かもしれない」って思った時に、「また頑張ってみようかな」って思えるような心の栄養になれたらいいな。

 

「永遠に」

 

その言葉の持つ意味の怖さも、儚さも、尊さも、いおに教えてもらった気がします。

敢えてこの言葉を使わなくても、ここにいるし、思ってるし、

迷惑でなければどうかこれからも好きでいさせてね。

 

 

 

5年目はどんな場所に連れて行ってくれるかな

どんな景色が見られるんだろう

 

あわよくばそろそろ直接話せたらいいな、無理かな

 

 

来年の今頃、どんな気持ちで私は何を見てるのかな

 

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誰にもわからないけど、でもたぶん、

12人がそれぞれの場所で幸せでいられますように。

 

 

 

「 頑張れ 」は誰かの首を絞めますか?

 

この記事を読んでくださる方へ大前提としておいてほしいことがひとつあって、それはこの記事が特定の " 何か " や " 誰か " を攻撃したり否定したりする目的で綴られたものではないということだ。

 

誰しもが誰かを傷つけたくて言葉を発するわけではないだろうし、そんな人が人口の大半を占めていたとしたら 世界はもっと殺伐としているだろうと思う。

 

だけど言葉、とりわけ文字は発信者の内面が透けにくいからこそ、受け取り手の感情がその文字を無意識のうちに湾曲してしまうことが少なくない。

だからこそこの記事を書き進めるにあたり、それから公開した暁に誰かの目に触れるにあたり、敢えて冒頭の一文を表記しておくことにした。

 

今回題材にしたいのはそんな「言葉の持つ意味」について。

 

 

 

 

最近、"頑張れ"と言うのが憚られる世間の空気を感じる。

 

 

「頑張れ」

 

すでに頑張っている人に向けてのエールの意味合いで、自分が応援したいと感じた相手に向ける言葉として誰もが一度くらい発したことがあるだろう。

もちろん私自身も例外ではなくて、誰かの背中を押したいと感じた時、「頑張れ」と声をかけたことがある。今もよく使う言葉だ。

 

それが最近なぜか「頑張れ」と自分以外の誰かに気安く言うことが 肩身狭いと感じるようになった。

 

「すでに頑張っている人に対して負担になる」

「まるで今の頑張りが足りていないと詰られているような気になる」

 

そんな理由がこの空気を創りだしている大半を占めているのでは。

断定するなw と匿名の誰かになじられそうだけども。

 

 

「頑張れ」と誰かに声をかけることは果たして本当に"悪"なのだろうか。

本当に言われた側を必ずしも追い詰めるんだろうか。

 

 

まずはっきり私の意見を記しておきたいのだけど、答えは"No"だ。

 

そもそも「頑張れ」は言われた側を追い詰めたり負荷をかけたいために使う言葉ではない。

少なくとも私はそんな意味を込めて相手に「頑張れ」といったことはないし、逆にこれまで他者からたくさんの「頑張れ」という言葉をもらってきたけれど、その時にマイナスの意味を含有した重たさを感じたことはない。だってその「頑張れ」をくれた人たちは、そんな重たさで私の首を絞めるために「頑張れ」って言ってくれたわけではないことがわかるから。

だからそれと同義で、私が誰かに「頑張れ」と伝えるとき、もっと頑張れよ、とか、なんでもっと出来るのにやらないの?なんていう相手の状況や努力を卑下するような意味を込めたいなんていう感情は一ミリもない。

 

 

確かに世の中には「死ね」みたいに、どんな時でも、喩えその直接的な意味とは異なるニュアンスで使いたかったとしても、誰かに向かって発してはいけない言葉はある。

だけど言葉のほとんどは意味がたった一つに限定されているわけではないし、その人がその相手にどんな意味を込めてその言葉を伝えるかによって、という関連因子で意味が8割近く変わってくる。

その言葉を発するときの表情や、顔が見えないのなら声色や、前後の言葉。それと似通う部分はあるけれど、その言葉を伝えるタイミングだって大切だと思う。はたまた相手との関係性も。

 

その人の思い総てを以ってして、初めて言葉には適当な意味が宿る。

 

ヒトって不思議な生き物で、目の前にいる人間の本心を透けて見る能力はないけれど、相手から投げかけられた言葉の真意はなんとなく感じる鋭い勘は持ち合わせている。だから、今自分に投げかけられたその言葉は一体どんな意味を持ってるんだろう、というよりそもそも根本的に自分を攻撃したくて投げつけられた言葉なのか、それとも慰めたり力を与えようとしてくれて発せられた言葉なのか、ということくらいは本能的に分かるだけの勘と感は発達していると思っている。これは自論。

 

受け取る側の五感、特に精神的なところのバランスも大きく言葉の意味を変化させるし、況して相手の心の内が透けて見えないからこそ、私たちは相手のそれを汲みたいと願って、できるだけ相手を傷つけない言葉を選ぶ。それが思いやりだから。愛を向けるということだから。

 

「”頑張れ”って頑張っている人に対してあんまり言わない方が良いよね」

 

その一言で思考が終わって、誰も頑張れって言わなくなっちゃうなんてあまりに短絡的で悲しすぎる。

大事なのは「その言葉を使っていいかどうか」ということじゃない。

そんなこといい始めたら言葉の大半はヘイトワードになってしまう。

 

" この言葉は使っても良い "

" この言葉は使っちゃ良くない "

 

大事なことは、そんな白黒ついた表面的な答で言葉を取捨選択するんじゃなくて、その相手に対して自分がどんな思いを込めてその言葉を選び取ったのか、伝えたいと感じたのかを大切にすることなんじゃないだろうか。

 

 

もちろん頑張れない=誰かの期待に応えられない自分に劣等感をもってしまって、誰かに言われた「頑張れ」で息ができなくなった経験を持つ人もいると思う。

というかそもそも

 

「すでに頑張っている人に対して負担になる」

 

って気後れしてしまう人はそういう経験があるからこそ、その息苦しさを相手に与えたくなくて「頑張れ」っていう言葉を使うことを避けるんだろうな。

 

だからこそ そういう経験と思考を以ってして「頑張れ」っていう言葉を誰かにかけることを避ける人がいることだって間違いじゃない。それはその人なりの優しさだから。そこに配慮して「頑張れ」って端的に押し付けないようにするなんて それこそ優しさの塊だよ。むしろ素敵な理由だと思う。

 

 

そういう意味でも、言葉を選び取るときは自分の「本当に伝えたいこと」を芯にして 言葉を受け取る側のバックグラウンドとか今置かれている状況に最大限の配慮と敬意を払う。自分の気持ちを押し付けるのは配慮じゃない。ただのエゴだ。だからそうならないように敬意を払う。そうすれば喩え受け取ってほしい意味と実際に受け取られた意味に多少の違いが生まれてしまったとしても誰しも目一杯は傷つかない。だってちゃんとその言葉には「愛」とか「思いやり」がつまってるから。

誤解が生まれたとしてもしっかり理由を伝えれば良い。そしたら相手と前よりもっと分かり合えるかもしれない。

 

 

 

生きる世界が異なる人に何か言葉を届けるってとっても難しい。

対面していてもこんなにたくさんの誤解とか哀しい思い違いが生まれてしまうのに、SNSだけでしかその人の発する言葉、文字を受け取ることができなくて、それがその人とのすべてになってしまうから。

 

オンラインがコミュニケーションの主流になって 顔が見えない"もの"を受け取る機会が増えた。寂しいけど。

 

手軽になった利点もあれば、電波が生んだタイムラグで 表情の微細な変化や空気感が分かりにくくなってしまった欠点がある。

 

 

諦めと落胆が心を乾燥させて、どんどん沸点が低くなる。そんな荒んだ身体の内側からついてでる言葉なんて 優しい言葉なわけがないのだけど。

 

やっぱり目の前にいる人のことは傷つけたくないし、ただでさえ乾燥した心に最後の一撃を喰わすのが自分の言葉だったらこれ以上悲しいことなんてない。

 

ちょっとでも相手が優しい気持ちになれたり、元気になったり、明日も頑張ろうって思えるような番になりたい。特に相手の顔が見られず文字でしか言葉を贈れない今だからこそ。

 

 

いろいろ書いてきたけど、やっぱり私は大好きなあの子に 今だからこそ、ツアー初日を控えた今日だからこそこの言葉を贈りたい。

 

頑張れ!

 

 

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明日が 良きとなりますように。

 

自分の気持ちに潰れそうになっているであろう貴女へ

 

 

"閉じ込めて蓋をした 溢れ出る想い" ~=LOVE WINTER TOUR2020 TDCホール初日公演~

 

たぶんTDCホールにここまで固執というかもはや執着に近い念を抱いているのは、きっと自分しかいないのではないかとさえ思う。

 

8年前のあの日

忘れもしないあの冬の日

 

TDCホールで開催されたAKB紅白を以てして、私のかつての推しはアイドルとしての表舞台から姿を消した。

 

AKB48を好きで、現場に足を運ぶということを経験した過去をもつ人なら誰しも、TDCホールは下手したら秋葉原にあるAKB48劇場よりも思い入れの深い場所なのではないかと錯覚する。

 

もちろん私も"それ"であり、前述したように私の大好きだった推しメンはそのステージを最後の大舞台としてグループでの活動に終止符を打った。

 

それ以来勝手に私の中では冬のTDCが忌まわしくて苦しいアイドルヲタク人生の"楔"みたいなものになっていたように思う。本当に勝手にだけど。

 

 

想い出って不思議なもので、「良いこと」だけではなくて、悲しいこととか苦しかったこともちゃんと脳に、身体に刻まれるし、そういうことってどんなに消し去ろうとしても 風の音とか 空気の匂いとか ふとした瞬間の音とか、そういうほんの些細なことであっという間に心のバリアを突き破って表に出てくるから怖いとさえ思う。

 

たぶん、そういう意味では私にとってTDCホールは結構呪縛みたいなものに成っていたんだと思う。忘れもしない別れの場所だったから。でも、大切な想い出の地だから。

 

許せなかった。そんな特別な地でのライブを奪ったコロナが。

すごい勢いで前に、それから上に進んでいく大好きなグループの幻の北関東ツアー。

そのファイナルが本当だったらTDCホールで開催される予定だった。

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そんな経緯があったからこそ、今回の冬ツアーのスタートラインが幻のTDCホールであったことにこれまた勝手な感慨深さを抱いたし、すごくすごく嬉しかったんだ。

 

 

だって、開催できなかった"あの"ツアーは「なかったこと」にされたんじゃなくて、ちゃんと今のイコラブにとっての「スタート」として 会えなかった期間もちゃんと今につながっていることを教えてくれた気がしたから。

 

 

成長を言葉にすること 

 

実はこのツアーの直前、オンラインお話会で衣織ちゃんにハッとすることを言われた。

 

「最近ね、衣織さんの成長が止まってしまっている気がするの」

「それがすごく申し訳なくて」

 

会えなかったこの9か月

そして片手でしか数えることができなかった有人ライブ

 

自分の成長って、ストイックであればあるほどなかなか感じて認めてあげることができないし、ちゃんと成長してるって自分のことを認めてあげるのはなんだか妥協しているみたいでちょっと抵抗がある。

だからこそどうやって自分を認めてあげたら良いか分からない。

 

成長ってそんな飛躍的なものじゃないから、毎日見ている自分じゃ余計に気づけなくて、たまに見る人がその蓄積を目にしたとき「あれ?すごく変わった」って思うものでもあると思う。

 

現に私は今回のツアー初日に限ったことではなくて、9月にあった3周年ライブもそうだし、先月にあったスペシャルライブでも、衣織ちゃんが「止まってしまった」なんて感じた瞬間は一瞬だって無かった。

 

でも彼女にそう思わせてしまったことは、彼女自身のストイックさも勿論あることだけど、大好きで想って彼女の大切にするライブとパフォーマンスへの姿勢の良さと変化を、言葉を以ってして伝えることができていなかったファンの怠惰でもあると思った。

 

だからこそ今回はツアーの感想を敢えて初日公演のこのタイミングでしっかり言葉にして残しておきたいと思っている。

 

衣織ちゃん、

衣織ちゃんは絶対に止まってないから。

いつだって私たちを驚かせて魅せて、そして幸せにしてくれるんだよ。

 

そんな想いは、閉じ込めて蓋をするべきではないし、

ちゃんと私は大好きな人に大好きな理由を伝えたい。

 

 

M1.しゅきぴ

M2.僕らの制服クリスマス

M3.Want you!Want you!

M4.届いてLOVE YOU♡

M5.いらない ツインテール

M6.CAMEO

M7.手遅れcaution

M8.My Voice Is For You

M9.虹の素

M10.推しのいる世界

M11.Sweeteset girl

M12.流星群

M13.スタート!

M14.アイカツハッピーエンド

 

M15.ズルいよ ズルいね

M16.探せ ダイヤモンドリリー

M17.「部活中に目が合うなって思ってたんだ」

M18.「君と私の歌」

M19.=LOVE

 

M20.青春“サブリミナル”

 

EN1.今、この船に乗れ!

EN2.樹愛羅、助けに来たぞ

 

EN3.しゅきぴ

 

度肝を抜かれた。

 

いくら途中に自己紹介とユニットやソロ曲を挟んでいるとはいえ、まさかしょっぱなから14曲ぶっ続きのフルメドレーがあるとは思っていなかったから。

 

セットリストを組むうえで"エモさ"とか、聴いている側のボルテージを左右する流れに重点をおくのはとても必要な観点だし、これは自分で音楽プレーヤーを使って音楽を聴いていても起こることだけど、曲の順番って相当人の気持ちの"高まり"を変動させる。

これは目の前に客の顔が見えない配信ライブにおいては演者の力量を問わずライブ全体としての満足度を高めるテクニックの一つじゃないかと、私はこの自粛期間によりそんなことを考えていた。

 

だけど今回のこのツアー初日におけるセットリストはその流れに頼らない、メンバー自身とグループのもつパワーにかなりの信頼性を置いた流れだと思った。

特にいらツイからcationまでのノンストップさはシンプルに相当体力が必要だし、それからその体力に見合った集中力が必要だ。

どう考えてもキツすぎる。

 

すべてを生歌で勝負するようになったイコラブは、細かい歌割でソロパートが多いから個々のごまかしが効かない。特にパートが多い衣織ちゃんは、ダンスナンバーでも前にいることが多いことに輪をかけて"魅せ"ながらマイクを持たないといけない場面が多い。

 

だからこそ野口衣織のすべてがトランス状態になって本人曰く「入っていた」cationがとんでもなくゾクゾクした。

アーカイブを見なくとも現地でめちゃくちゃハラハラしたCAMEOのふらつき(見ようによっては妖艶さとけだるさ、まぁ俗にいうエッc(ry)と呼吸の荒さから、一気に重くて艶やかな鉄格子が勢いを以ってして眼の奥に堕ちるような冷たさを孕んだ空気に変わったあの瞬間が今でも忘れられない。

 

たぶんあれは体力も気力も飛んでいないとできない「やばさ」があったし、ハラハラしつつも曲の世界に陶酔する自分がいたのも事実だ。

 

衣織さんが魅せてくれる曲の世界はいつだってその空間の一部に自分もいるような感覚にさせてくれるし、そういう魅せ方をしてくれる彼女の底知れないパワーは本当にすごいと思う。まるで舞台でも観ているみたいだ。

休業を経て帰ってきてくれた瞳が曲に融けたおかげで、衣織さんの目の前に広がるcation の世界がまた3rd当時のものになったし、当時はなかった体力面におけるパワーが圧倒的に衣織さんのパフォーマンスの軸を太く強くした。

 

  

思わず次の日「瞳がいたからcation戻したの?」って聞いてしまったけど、トランス状態だった彼女は覚えていないみたいで「えー?覚えてないや」ってへらへらしていた。可愛い。(なんでも可愛い人

  

そして何よりグループ全体がちゃんと同じ方向を向いているのだということがひしひしと伝わってきたのが今回は手遅れcation だった。

初披露から早2年が経ったけれど、お披露目当時のcation は他のメンバーに失礼を承知で書くけどどう見たって「野口衣織と仲間たち」だった。

すべてとは言わないけど、彼女に頼り切っている他のメンバーたちをどういう風に観たらいいのかわからなくて、すごく戸惑ったのを覚えている。

でも今は違う。

もはや違うグループでも見ているかのような感覚にさえなった。

独特なフォーメーションが多いcation だけど、全体を観た時に「美しさ」を感じたのは初めてのことだった。

特に今誰がこのフォーメーションにおける"真ん中"なのかということがちゃんと全員の意識下にあったし、その"真ん中"にすべてを任せてあとはもういいやとなっていたように見えてしまっていたかつてのイコラブはもう存在していなかった。

 

一人ひとりがそこに息をする登場人物として責任をもってステージに立っているんだっていう気概がすごく頼もしかったし、そう感じさせてくれるイコラブのライブが大好きだななんてことを想いながらステージを見つめた。

 

ラストの"愛は 手遅れcation"の瞳パートからそれぞれが閉じ込められた檻の中で息絶えるアウトロは、それこそサブリミナルの歌詞を借りるならば、閉じ込めて蓋をしたいくらい素晴らしかったと思う。

 

 

眼を離していた瞬間の出来事

 

そこから一変した空気で、まるで冷たいガラスが一気に砕けて両手いっぱいの光が彼女から射すように始まったMy voice is for youがとても良かった・・・・

 

最近沙夏ちゃんの変化に見張る瞬間があまりに多くて、驚いてしまう。

 

特に先日公開された青春"サブリミナル"のダンス動画は何度も何度も再生した。

決して目立つわけではないけれど、すごく丁寧でしなやか。

もっとできることを知っているのに、まるでそれを出し惜しむような素振りに2019年までは少しだけ淋しさを覚えたのも事実だったけど、そんなこと忘れさせてくれるくらいに一皮剥けたような気がして。

 

丁寧で女性らしい踊り方が背中を押して、そういうフィルターがかかった今の沙夏ちゃんのMy voice is for you は女性の可愛らしさがこれ見よがしに溢れていて、これといった振りがあるわけではないのにすごくすごく素敵だった。

 

ここにいてくれてありがとう

歌っていてくれてありがとう

 

沙夏ちゃんのファンの人がよくこう言っているのを耳にするけれど、この曲で沙夏ちゃんのすっきりした歌声と「傍においてくれて ありがとう」っていう心からの笑顔を見ていると本当に素敵な空気感でそこに居てくれるアイドルなんだなぁってニコニコしてしまう。

 

上っ面をなでると安直に「歌声がすごい」と言いたくなってしまうけど、沙夏ちゃんの魅力は絶対にそんなもんではないし、内側から滲む素直さとか心のしなやかさがあっての彼女の歌声なんだよなぁ。たぶんね。

 

愛を知った日も恋を知った日も、きっと沙夏ちゃんの歌声はファンのことを優しく包んでくれるんだろうなぁ。

 

 

私が"虹の素"を好きになれなかった理由と意地

 

個人的にだけど、そしてこのブログにおいても繰り返し書いている気がするけど、虹の素を素直に「好きだ」と思ったことがなかった。

理由は幾つかあるけど、一番大きかったのが曲の振付が舞香と衣織ちゃん双方の歌声の魅力を殺していると感じてしまったということだ。

どう考えてもあっちへもこっちへも動き回って腕を力任せに振り回すことがあの曲の世界観をぶち壊しているし、音楽プレイヤーであの曲を聴いていてあのライブパフォーマンスが浮かぶことはどうしたってなかったし、言ってしまえば違和感の塊だった。

 

そして舞香と衣織さんが本当の意味で"2人で"曲を創っていることが感じられなかったのもあった。

 

どちらか片方が手を抜いていたとかそんなことが言いたいわけじゃない。

ただ単純に2人が同じ世界の同じ時間軸の中で生きていなかったんだと思う。

それぞれに"虹の素"の世界があって、想いも流れる時間もあって、だからこそうまいこと2人のそれが交わっていなかったように見えた。

 

幸か不幸か、今回は衣織ちゃんが相当削られた状態だったからこそ舞香が衣織ちゃんの世界に入ろうとする優しさで今まで無かった世界を生んだ気がして。

どちらかの創る世界に歩み寄る優しさと愛が何とも言えない"エモさ"を生み出して、さらに好い意味で全力力任せではない振りであり動きがより一層大人でどこか落ち付いた虹の素を作り出す要因でもあったんじゃないかなぁって。

 

与えられた振りを全力でやることも大切だけど、きっとそうじゃない時もある。

 

たぶんそういう意味では見ている側の私自身も2人の世界に入ろうとする優しさとか、真っ新な目が欠けていたのかな。

自分自身が「これはこう!」と勝手気ままに作り出した虹の素の世界と違うものを魅せられた時に受け入れる余地が無かった。愛も思いやりも。

 

いやぁ参った。ついに虹の素、好きになっちゃった。

本当に衣織ちゃんには敵わないなぁ。

 

 

「おかえり」と言えなくて

 

そしてこのライブで私の中に起きた大きな変化がもう一つある。

 

9月の3周年ライブで瞳がイコラブに帰ってきてくれた。

でも私はなぜか素直に嬉しいともなんとも思えなくて。

 

これにも幾つか理由があるけれど、やっぱりこれも前述したような違和感が大きかった気がしている。

 

あの瞬間、メンバーを含めた多くの人が「センターを"守ってくれた"なーたん」に対して、そして太陽のような笑顔で明るく「真ん中に帰ってきてくれた"ひとみん」の横にいる最上の輝きを押し付けていたように見えた。

これは私がそういう風に見てしまっていたのも大きかったのかもしれないけど、でも。

 

果たしてなぎはイコラブのセンターを"守って"くれていたのか?

 

攻めの姿勢で彼女なりに立っていたセンターの姿を一瞬で"守っていてくれた"と評して、それだけに留まらずにセンターの隣にいる彼女がさも適正なポジションに戻ったことで関係性だけが「尊い」と褒めてしまう空気、言い方が端的で申し訳ないのだけど本当に気持ち悪かった。おかしいと思った。

 

その極めつけが流星群の歌詞だ。

 

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本当のところなんて本人たちにしか分かりっこなくて、こうして書いている私自身の考えだって妄想の一つにすぎない。だけど、歌詞が想いのすべてだと言わんばかりの感情操作と、それを聴く大衆の残酷なまでの素直さが、すごく心の中を冷たくした。

 

いろんな歪みが違和感を大きくして、いつの間にか「おかえり」を言えなくした。

これは自分の意地だし、不要な強がりだったな。

 

大人げなかったと反省した。

 

というのもそのくらい流星群を歌うなぎが良い顔をしていた。

なんだかスッキリとした良い顔だった。

 

自分のことを正当に評価されない悲しみは、当事者にしか分からない。誰も悪くない今回のようなことだからこそ、やり場のない虚しさはきっと私だったら耐えられなかった。

 

味方だと思っているし自分のことを好きでいてくれる人達が下す"評価"が、もし自分の望まない方向に向いたとしたら、一体誰のために頑張っているんだろうって きっとモチベーションが路頭に迷ってしまう。誰も否定はしてないけど、でも肯定もしていないから。

 

勝手になぎに自分の気持ちを重ねて、思い込んで、勝手に共感した気になっていた。勝手に苦しくなっていた。

 

たぶん押し付けていた。

 

だけど 柔らかく笑みながら瞳を見つめて、一つひとつのフレーズに愛しさを滲ませながら歌うなぎが 本当に本当に輝いて見えて。

 

"前に進んだんだな"

 

って感じた。これも勝手に。

 

きっと私たちの知らない時間が有って

きっと私たちの知らない変化も有って

もちろん変わらなかったことも有って

 

すべてが有ってあの日のあの"流星群"があったんだろうし、それこそ「惹かれあって ぶつかった瞬間」流星群になったんだと思う。

 

だからこそ、遅くなってしまったけど

でも敢えて言わせて

 

「おかえり」

 

 

ちゃんとハマった12個目のピースが、やっぱり必要なんだ。メンバーにとっても、もちろん私たちファンにとっても。

 

 

静止画とコマ送り

 

後半はMCを挟んでカメコタイム。

我が推し衣織ちゃんの成長の話題に話を戻すけれど、自粛明けのライブで気づいたことがあった。

それがより一層確証として感じられたのがこのカメコタイムだった。

 

「ねぇ、いお、踊り方変えた?」

 

これも思わず翌日聞いてしまったのだけど、特に大好きなダイリリみたいなカウントが速くて細かい曲で強く感じた。

 

もちろん私の技術の問題が大きいだろうけど 今まで衣織ちゃんを撮っていて一番感じたのが「動きにカメラがついていかない」ということだった。

というのも動画を切り取ってピタリと収めるのが静止画の魅力であり難しさだと思っているからこそ、衣織ちゃんの常に"動いている" "動"のパフォーマンスをピタリと"静"に収めることがどうしても出来なかった。本当に本当に難しかった。

 

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コマ送りの様に"静"が織り込まれたパフォーマンスの仕方が、今までにない魅せ方としてカメラのレンズ越しに伝わってきたし、ただ動けば良い 踊れば良いじゃないっていう衣織ちゃんのパフォーマンスへの気概にワクワクがとまらなかった。


きっとずっとわかっていたことだろうけどもっともっとそれが顕著に現れるようになった。

 

流れている時間が止まる瞬間があって

見ている側にふと思慮させる"隙間"をくれる。

 

ふわっと息をさせてくれる瞬間が心地よい。

 

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それは余裕が生まれたからなのか
逆に焦りから生まれたのか

 

ほらね衣織ちゃん、

こんなにも変わってるし

だから私はずっと貴女から目が離せないんだ

 

思わずそう言いたくなるような時間だった。

身体の真ん中から溢れ出る"好き"の気持ちが写真越しにちょっとでも伝わっていたらいいな。

 

私は本当に本当に、貴女のことが大好きです。

 

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ヲタク頼むから隙あらば告白しないでくれ。

 

 

自信は乙女の背中を押す

 

そして忘れもしないもう1人の推しメン、大場花菜ちゃんだってちゃんと覚醒している。

 

これは追記ではない。もちろん本文だ。

 

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このコロナでの会えなかった期間を通じて花菜が得たのは間違いなく背中を押してくれる、"間違っていない"自信だ。

 

それはライブパフォーマンスを見ていても感じることだし、それだけではなくオンラインで喋っていてもひしひしと感じた。

 

だって彼女の輝きはすごい。

こんなにも自信は女の子を綺麗にしてくれる。

 

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努力を怠る人の身に纏う"自信"はその人を傲慢にするけれど、正統な努力を惜しまない人の得る"自信"はいつだって味方をしてくれるんだ。

 

花菜を見ているとそんなことを教えて貰っている気がするし、いつでもキラキラの笑顔で舞台に立つ花菜は明日を頑張るエネルギーをたくさんたくさん、もうこれでもかってくらいたくさん分けてくれる。

 

ねぇ花菜、そんなにパワーくれたら花菜のパワーなくなっちゃうよ?大丈夫?って心配になるくらい愛もパワーも笑顔もくれる大場花菜は、私にとっての太陽だから。

 

これからもどうぞよろしくね。

太陽がない日常なんて、きっと、絶対に耐えられないから。

 

 

 

"君でした"

 

そんなこんなであっという間に本編もラスト、今回の私が初めて目にした青春"サブリミナル"がこれまためちゃくちゃ良かった…………

 

特筆すべきはりさとなぎだと思うんだけど。

 

2番歌い出しのりさが本当に可愛い。

もうシンプルに可愛いの塊。

 

それからなぎの丁寧な所作がサブリミナルのパフォーマンスによく現れていた気がした。


手の添え方や足の置き方 膝の付け方
ちゃんと頭で考えて計算している動き


一つひとつの歌詞と振り付けの意味を咀嚼しようとしているんだろうなぁと思ったし 今までにないなぎのパフォーマンスの仕方だとも思った。

ズルズルやCAMEOで磨かれたものがしっかりと分かりやすい王道回帰な曲にも透けていて。

 

爽やかでもありどこか寂しさも残る。

 

 

 

前前シングル、前シングルの流れを汲んでしまうと、王道回帰である今回の新曲は正直「物足りない」と感じてしまった部分もある。

 

ただそれこそ

 

「期待と不安の シナプス軋む」

 

のソレであり、もう相反する感情がぶつかりあってせめぎ合って、結局もうどうでも良くなってしまった。

 

だって私はイコラブが好きだから

 

つい会えない期間を家で1人過ごすと、いつもは考えなくても良いことを考えてしまう時間が増える。

雑念が"好き"の気持ちを汚してしまうことだってある。

 

そんな余計な気持ちを一気に払拭してくれたのがサブリミナルだったし、やっぱりどう足掻いても今のイコラブが大好きで大好きでたまらない。

 

会えなくて死ぬほど寂しかった

話したかったし 好きの理由も伝えたかった

 

君がいいって言いたかった。

 

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リュックに炭酸が入っていたってそんなのどうでもいい。

どうでもいいと思えるくらい好きだから。

 

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私はまだここにいたい。

ここで、みんなを見ていたい。

 

そう心から願ったし、積み重なっていく思い出が自分の支えになる度に怖くなった。

 

いつまでここにいられるんだろう。

 

 

 

 

アイドルは永遠じゃないから。

ヲタクの抱く"好き"も永遠じゃないから。

 

怖い。

 

失うことも、消えゆくことも、怖い。

 

 

 

だけど12人がそこにいる限り、=LOVEというグループを愛して、アイドルという仕事を愛し続ける限り 私は彼女たちの輝きを糧に自分の人生を頑張れるんだと思った。

 

大袈裟かもしれないけど、終演後はそんな気持ちでカメラに残った写真を眺めた。

 

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1人のヲタクが与えられるの愛には限界があるのかもしれないけど、ここにいられる限り、ちゃんと自分の口から衣織ちゃんに愛を還して 好きを伝えたいと思った。

そのくらい彼女が大事だと思った。

 

 

いや、重いな?

 

 

普通に考えて冒頭14曲ぶっ通しって尋常ではない体力を使うし、衣織ちゃんの場合は陶酔するから気力も使うし、なんなら14曲あったら14人分の人格が入れ代わり立ち代わり彼女の中に出入りするわけだから、そりゃ意識が飛びそうにもなるし一つひとつの細かい記憶なんてなくなるわなぁ。

 

どうか彼女が、彼女たちが無事に武道館までの道のりを完走できますように。

 

カメラを片手にその姿を追随する2020年の冬が いつもと変わらない"好き"で溢れる最高な時間になりますように!

 

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