う、ういじゃない!

=LOVE / 野口衣織ちゃんと大場花菜ちゃんのことが大好きでたまらないヲタクの独り言

「 頑張れ 」は誰かの首を絞めますか?

 

この記事を読んでくださる方へ大前提としておいてほしいことがひとつあって、それはこの記事が特定の " 何か " や " 誰か " を攻撃したり否定したりする目的で綴られたものではないということだ。

 

誰しもが誰かを傷つけたくて言葉を発するわけではないだろうし、そんな人が人口の大半を占めていたとしたら 世界はもっと殺伐としているだろうと思う。

 

だけど言葉、とりわけ文字は発信者の内面が透けにくいからこそ、受け取り手の感情がその文字を無意識のうちに湾曲してしまうことが少なくない。

だからこそこの記事を書き進めるにあたり、それから公開した暁に誰かの目に触れるにあたり、敢えて冒頭の一文を表記しておくことにした。

 

今回題材にしたいのはそんな「言葉の持つ意味」について。

 

 

 

 

最近、"頑張れ"と言うのが憚られる世間の空気を感じる。

 

 

「頑張れ」

 

すでに頑張っている人に向けてのエールの意味合いで、自分が応援したいと感じた相手に向ける言葉として誰もが一度くらい発したことがあるだろう。

もちろん私自身も例外ではなくて、誰かの背中を押したいと感じた時、「頑張れ」と声をかけたことがある。今もよく使う言葉だ。

 

それが最近なぜか「頑張れ」と自分以外の誰かに気安く言うことが 肩身狭いと感じるようになった。

 

「すでに頑張っている人に対して負担になる」

「まるで今の頑張りが足りていないと詰られているような気になる」

 

そんな理由がこの空気を創りだしている大半を占めているのでは。

断定するなw と匿名の誰かになじられそうだけども。

 

 

「頑張れ」と誰かに声をかけることは果たして本当に"悪"なのだろうか。

本当に言われた側を必ずしも追い詰めるんだろうか。

 

 

まずはっきり私の意見を記しておきたいのだけど、答えは"No"だ。

 

そもそも「頑張れ」は言われた側を追い詰めたり負荷をかけたいために使う言葉ではない。

少なくとも私はそんな意味を込めて相手に「頑張れ」といったことはないし、逆にこれまで他者からたくさんの「頑張れ」という言葉をもらってきたけれど、その時にマイナスの意味を含有した重たさを感じたことはない。だってその「頑張れ」をくれた人たちは、そんな重たさで私の首を絞めるために「頑張れ」って言ってくれたわけではないことがわかるから。

だからそれと同義で、私が誰かに「頑張れ」と伝えるとき、もっと頑張れよ、とか、なんでもっと出来るのにやらないの?なんていう相手の状況や努力を卑下するような意味を込めたいなんていう感情は一ミリもない。

 

 

確かに世の中には「死ね」みたいに、どんな時でも、喩えその直接的な意味とは異なるニュアンスで使いたかったとしても、誰かに向かって発してはいけない言葉はある。

だけど言葉のほとんどは意味がたった一つに限定されているわけではないし、その人がその相手にどんな意味を込めてその言葉を伝えるかによって、という関連因子で意味が8割近く変わってくる。

その言葉を発するときの表情や、顔が見えないのなら声色や、前後の言葉。それと似通う部分はあるけれど、その言葉を伝えるタイミングだって大切だと思う。はたまた相手との関係性も。

 

その人の思い総てを以ってして、初めて言葉には適当な意味が宿る。

 

ヒトって不思議な生き物で、目の前にいる人間の本心を透けて見る能力はないけれど、相手から投げかけられた言葉の真意はなんとなく感じる鋭い勘は持ち合わせている。だから、今自分に投げかけられたその言葉は一体どんな意味を持ってるんだろう、というよりそもそも根本的に自分を攻撃したくて投げつけられた言葉なのか、それとも慰めたり力を与えようとしてくれて発せられた言葉なのか、ということくらいは本能的に分かるだけの勘と感は発達していると思っている。これは自論。

 

受け取る側の五感、特に精神的なところのバランスも大きく言葉の意味を変化させるし、況して相手の心の内が透けて見えないからこそ、私たちは相手のそれを汲みたいと願って、できるだけ相手を傷つけない言葉を選ぶ。それが思いやりだから。愛を向けるということだから。

 

「”頑張れ”って頑張っている人に対してあんまり言わない方が良いよね」

 

その一言で思考が終わって、誰も頑張れって言わなくなっちゃうなんてあまりに短絡的で悲しすぎる。

大事なのは「その言葉を使っていいかどうか」ということじゃない。

そんなこといい始めたら言葉の大半はヘイトワードになってしまう。

 

" この言葉は使っても良い "

" この言葉は使っちゃ良くない "

 

大事なことは、そんな白黒ついた表面的な答で言葉を取捨選択するんじゃなくて、その相手に対して自分がどんな思いを込めてその言葉を選び取ったのか、伝えたいと感じたのかを大切にすることなんじゃないだろうか。

 

 

もちろん頑張れない=誰かの期待に応えられない自分に劣等感をもってしまって、誰かに言われた「頑張れ」で息ができなくなった経験を持つ人もいると思う。

というかそもそも

 

「すでに頑張っている人に対して負担になる」

 

って気後れしてしまう人はそういう経験があるからこそ、その息苦しさを相手に与えたくなくて「頑張れ」っていう言葉を使うことを避けるんだろうな。

 

だからこそ そういう経験と思考を以ってして「頑張れ」っていう言葉を誰かにかけることを避ける人がいることだって間違いじゃない。それはその人なりの優しさだから。そこに配慮して「頑張れ」って端的に押し付けないようにするなんて それこそ優しさの塊だよ。むしろ素敵な理由だと思う。

 

 

そういう意味でも、言葉を選び取るときは自分の「本当に伝えたいこと」を芯にして 言葉を受け取る側のバックグラウンドとか今置かれている状況に最大限の配慮と敬意を払う。自分の気持ちを押し付けるのは配慮じゃない。ただのエゴだ。だからそうならないように敬意を払う。そうすれば喩え受け取ってほしい意味と実際に受け取られた意味に多少の違いが生まれてしまったとしても誰しも目一杯は傷つかない。だってちゃんとその言葉には「愛」とか「思いやり」がつまってるから。

誤解が生まれたとしてもしっかり理由を伝えれば良い。そしたら相手と前よりもっと分かり合えるかもしれない。

 

 

 

生きる世界が異なる人に何か言葉を届けるってとっても難しい。

対面していてもこんなにたくさんの誤解とか哀しい思い違いが生まれてしまうのに、SNSだけでしかその人の発する言葉、文字を受け取ることができなくて、それがその人とのすべてになってしまうから。

 

オンラインがコミュニケーションの主流になって 顔が見えない"もの"を受け取る機会が増えた。寂しいけど。

 

手軽になった利点もあれば、電波が生んだタイムラグで 表情の微細な変化や空気感が分かりにくくなってしまった欠点がある。

 

 

諦めと落胆が心を乾燥させて、どんどん沸点が低くなる。そんな荒んだ身体の内側からついてでる言葉なんて 優しい言葉なわけがないのだけど。

 

やっぱり目の前にいる人のことは傷つけたくないし、ただでさえ乾燥した心に最後の一撃を喰わすのが自分の言葉だったらこれ以上悲しいことなんてない。

 

ちょっとでも相手が優しい気持ちになれたり、元気になったり、明日も頑張ろうって思えるような番になりたい。特に相手の顔が見られず文字でしか言葉を贈れない今だからこそ。

 

 

いろいろ書いてきたけど、やっぱり私は大好きなあの子に 今だからこそ、ツアー初日を控えた今日だからこそこの言葉を贈りたい。

 

頑張れ!

 

 

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明日が 良きとなりますように。

 

自分の気持ちに潰れそうになっているであろう貴女へ