う、ういじゃない!

=LOVE / 野口衣織ちゃんと大場花菜ちゃんのことが大好きでたまらないヲタクの独り言

アイドルの子 ~映画「天気の子」に馳せる想いとリンク~

 

私の推しメンは雨の日が好きらしい。

私は雨の日がどちらかというと嫌いだ。

 

いや、嫌い「だった」。しかも、つい3日前まで。

 

 

 

3日間のうちに同じ映画を観るために2度映画館へ足を運んだのは人生で初めてだし、たぶんこの先もそうないことだと思う。

 

そのくらいに一気に惹き込まれてしまった映画がある。

 

新海誠監督の最新作「天気の子」だ。

 

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基本的に映画や舞台は前情報をできるだけカットした状態で見に行くようにしている。

クリアな頭で見ないと気が付けないことがたくさんあるし、なにより知識は時として邪念になるから。

素直な自分の感想なんて、この情報化社会においては意識的に獲得しようとしなければ気づくことすらできないと思う。だから今回も1回目は全くと言っていいほど大筋ですら何も知らない状態で映画館へ足を運んだ。

 

先に述べておくとこのブログは相当映画本編のネタバレを含むので、今後鑑賞予定且つ私のように前知識0で映画を観たい人はここでぜひ回れ右をば・・・

 

 

この映画の舞台は現代、東京。

 

主人公の帆高は島の狭いコミュニティの中での暮らしに息苦しさを覚え、「何か」から逃れるために東京へ出てきた16歳。

そこで放浪する中で、須賀圭太という妻を事故で亡くしたフリーライター

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そして母親の病をキッカケに晴天を願うことで「100%の晴れ女」という特殊能力を持った少女陽菜と出会う。

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この映画は親元から逃げ出た高校生の帆高が見知らぬ街東京という地で、様々な事や人に出会い、自らの運命を自らの手で選びながら成長していく物語。

 

この映画の大きなキーになっているのがそのタイトルからも察せられる通り「天気」。

ヒロインの陽菜が持つ特殊能力の基になっているのは「天気の巫女」と呼ばれる実在する伝説だ。

本編の中では超常現象の取材をしているなかで話を聞く機会のある占い師や神社の神主の口からこの「天気の巫女」の話題が出てくる。

天気の巫女とは昔の日本において各村に一人は居たという存在。

陽菜は【晴れ女】という俗名で呼ばれているが、何百年も前には陽菜やその他の人々のように空に向かって晴天を祈り捧げ、それを己の力をもってして「治療」という形で天気を繰っていた女性たちがいたようで。

そういえば源義経の妾であった静御前も雨を願って舞を舞ったなんていう逸話がありましたね、確か。知ったかぶっておいて記憶違いだったらどうしよう()

 

天と地を結ぶ細い糸として存在していた天気の巫女、「晴れ女」

 

陽菜は帆高と出会う1年ほど前、大雨の中で一筋の陽の光を浴びる廃ビルの屋上にある鳥居を、当時病に倒れていた母親が元気になって 弟の3人で晴れた空の下をもう一度駆け回りたいという強い願いを持ってくぐったことから「晴れ女」となった。

 

鳥居をくぐるというキッカケをもってして、陽菜は天気という大きな運命、そして数えきれない人の願望と欲望を背負うことになる。

 

「天気って不議だ。ただの空模様に人の気持ちはこんなにも動くんだ!」

 

帆高のセリフにこんなものがあったけれど、陽菜と出会い、そして陽菜の力を知った帆高は「晴れ女」の力をビジネスとして活用しようとする。

 

物語の中での東京は連続雨記録をたたき出すほどの連日雨模様。

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様々な人が様々な理由で「晴れ」を望む欲と願いを仕事として活かし、2人は晴れ女ビジネスを始める。

 

母親を失い自分の存在価値を捜しながらトウキョウを彷徨っていた陽菜は、無数の人に「ありがとう」と感謝され、晴天を届けることができる自分の力とその仕事に生きがいを見出していく。そしてそれと同時に帆高は純真な陽菜の笑顔に心を奪われていく。

 

しかし、神の徒である天候を人為操作するには代償がつきもので。

「天気の巫女」に待っている悲しい運命、それは「人柱=神への生贄」としてその存在が召されること。

 

その伏線としてお天気ビジネスを進めていく中で、雨模様の東京に晴天を届けた代償として陽菜の身体は徐々にあの世である平原の色=透明になっていく。そして物語の終盤で、真夏の東京に降り注ぐ雪の中、陽菜は人柱として空に消える―――。

 

 

いや、むごくない・・・?

 

 

新海誠監督のアニメーションは自然の惨さと脅威がふとした瞬間に迫ってくるのが最大の魅力だと私は勝手に思っていて。

君の名は。」も3.11がベースにあるという話がありますが、古の日本において神=自然という考えが根強くあったことにも透けて見えるけれど、自然は本当に怖い。怖いけど美しい。深いし広い。

 

 ところでここまで読んでいたそこの画面の向こうの貴方

 

なんでアイドルヲタクのブログにこの映画の感想がわざわざ一本の記事としてアップされているかって?腐るほど存在するあらすじと考察がしたためられた一般人の映画ブログは検索すればよっぽど手の込んだ素晴らしいものが手軽に読めるのに?

 

本題はここからですよ、ええ。

 

 

私がこの映画を観ていて一番心に突き刺さったのは陽菜と自分の推しがリンクして、そこに感情移入してしまったから。

 

こんな感想をもった鑑賞者はきっと日本中を捜しまわってもそうそういないでしょうね!えぇ!!!いたらぜひ連絡先をコメント欄へ!盃交わしましょう!

 

 

この映画を観ているうちに私の中で陽菜の背負った【晴れ女】という運命がどうしても【アイドル】という不思議で残酷な仕事とダブって見えてしまって。

【アイドル】は様々な人の羨望の眼差しを受けて、「誰かを笑顔にし元気を届ける仕事」という表現をされることが多い仕事です。

だからこそヲタクである私たちは日々アイドルに対して「いつも○○ちゃんに会えると元気になるよ!」「××に会えることが生きがいだよ」と笑顔で感謝を伝える。会いたくて会いに行く。今、好きだから。

 

 

私の推しは「声優になりたい」という夢をおいかけて、アイドルになりました。

そしてその背中に【アイドル】という運命を背負いました。丁度晴れを願って鳥居をくぐった陽菜のように。

 

 自分の欲望のために晴れを願った本編のお天気ビジネスの依頼者たちと

日々の生きがいと自己肯定感を得る為にアイドルを追いかけるヲタクたち

 

必要とされているのは自分自身ではなくて、本当の自分ではなくて、その能力だし、アイドルでいえば表舞台のアイドルとしての自分なわけであって。

遥か彼方の積乱雲の上に閉じ込められた陽菜の姿は、「みんな」に愛されているはずなのに孤独の中でもがく推しの姿が重なって見えて、もう本当に苦しくて苦しくて。

 

私の推しも自分の生命を削って人々の晴天を叶えた陽菜のように自分の魂とHPを削ってアイドルを全うしているんだろうし、そんなことを思うといつか陽菜みたいに衣織ちゃんがパッと消えてしまったらどうしようなんて、そんな突拍子もない心配が尽きなくて。

 

こんなことをぐるぐる考えながら映画を観ていたら、涙が止まらなくなりました。

監督、意図せずな受け取り方をして本当にごめんなさいwwwww

 

 

 

物語の終盤、人柱となった陽菜を追いかける帆高のセリフにこんなものがありました。

 

「ごめん晴れ女なんかやらせて。陽菜さんに、全部背負わせて」

 

そういえば去年の冬、衣織ちゃんにこんなことを話したことがありました。

 

「衣織ちゃんの背負ってる苦しいこととか悩んでることを、ちょっとでも一緒に背負いたいんだ。だから、話したくなったら話して」

 

 

【アイドル】はステージの上に立って笑顔で歌って踊る。

無数の人たちの欲望を受けて、一人で苦しみや悲しみと孤独を背負う。

どんなに辛いことがあったとしても、どんなに笑顔を作ることが苦しくても

それでも笑顔で表舞台に立たないといけない。

 

一体【アイドル】はどれだけのものを背負っているんだろう。

 

ごめん、衣織ちゃんに、全部背負わせて。

 

きっと平原の色として透明に還った陽菜は、自分の背負った運命から解放されたいと願いっていた部分もあったんじゃないのかなぁ。

無数のヒトたちの欲望と羨望の眼差しに疲れて、ちょっと立ち止まって休みたくなったような気がしてならなくて。

そりゃ疲れるよね

いいことばっかりじゃないよね

笑えない日だって、不安で眠れない日だってあるよね

 

 

アイドルとヲタクの間で交わされる言葉は虚構で、お互い信じたいのに信じられなくて、でも好きだから、大切だから苦しい。

 

映画の挿入歌にRADWINPSの「大丈夫」という歌がありました。

 

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 「このままで大丈夫かな?」って不安そうに聞いてくる衣織ちゃんに

私はいつも説得力のない「大丈夫」を返すことしかできなくて。

 

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でももし私一人の存在がここに在るだけで、

それが彼女にとっての「何か」に、「大丈夫」になれるなら、

それなら私はずっとここで彼女を見守っていたいと思う。願う。

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非常に重いけど大丈夫かね推しメン?

 

 

多くの人が願う晴天よりもたった一人の笑顔を選んだ帆高のように、私も真っすぐな気持ちでアイドル野口衣織を追いかけることができたらいいなぁなんて、そんなことを思いながら映画館を出ました。

 

背負っているものを一緒に持つことはできないかもしれないけど

その近くで「頑張れ」って声を掛け続けることしかできないかもしれないけど

 

それでも私は「アイドルの子」を身近に感じて自分のリアルを頑張って生きようと思います。

 

ね、衣織ちゃん。

 

 

 

新海誠の描く自然のように、アイドルの仕事も深くて広くて、綺麗で、怖い。

時に敵にも味方にもなる。

 

 ただ「嵐を晴れにだって変えられる」ように

彼女たちの存在が雨だらけの日々を晴れにしてくれるのは間違いない事実で。

 

きっと平原の色に還りたくなる時が数えきれないくらいあるだろうけど、いつか来る「その時」まで、よろしくね推しメン。私はこの空の下で、衣織さんの笑顔が見られる世界線で生きていたいです。願わくば、あともう少しだけ。

 

 

 

 最後に与太話を一つ。

タイトルの「天気の子=Weather with you」には直訳の他にももう一つ意味が込められているそうで。

「Weather」は天気という和訳の他に「嵐」や「困難」という意味もあるそう。君と一緒に困難を乗り越えたい、立ち向かいたい。そんな想いが込められたロゴ。

 

衣織ちゃんの背負うものを一緒に持つなんてことはきっと不可能な願いだけど、一緒にいろんなことを乗り越えていけたらいいななんて思っています。

「嵐を晴れにだって変えられる」ようにね。

 

 

大事な人が居る人は、たとえその人が積乱雲の中にいる手の届かないアイドルだとしても、そんな大事な人のことを思い浮かべながらぜひ見てほしい映画でした。

 

今日もこの晴天の下で推しが笑顔で過ごせていますように。